男の死に際
男の死に際、男の散り際
山本集が亡くなって、本日でちょうどまる1年。
1周忌を迎えたアトリエにある仏壇には、たくさんの方がお参りに来て下さいました。
また、我々スタッフより先に、お墓へお参り下さった方もいらしたようです。
こうして、未だ尚たくさんの方の愛情を受けている山本集。
本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな山本が、生前口癖のように言っていた言葉が、この「男の死に際」という言葉でした。
山本自身、人様に決して誇れる人生ではなかったことは重々承知していました。
ついては、自分が亡くなる際に、布団の上で安らかに死にたいなどということも
夢にも思っていなかったようです。
ただ、男として「死に際」だけは、美しくかつ、潔くありたい。と、それだけを
肝に銘じて、死と向き合っていました。
そして、それが自分の思う最後の美学だと言わんばかりに、死の間際まで「痛い」「苦しい」と
言う言葉は、1度たりとも口にしませんでした。
そんな山本が、亡くなる寸前…ろれつが回りにくくなり、日課の新聞すら読めなくなっていた
ベッドの上で、話した最後の言葉が、この「男の散り際」という本にまとめられています。
タイトルは「男の散り際」。
本人の口癖は「死に際」でしたが、この本を通じ、せめてもう1度花を咲かせて欲しいと
遺族が選んだ「散り際」と言うタイトル。
多くの方の目に留り、最後の花を咲かせる事ができたなら、これほどの幸せはないでしょう。
また、すでに読み終えた方がおいでなら、メールや、コメント欄を通じて
ぜひ感想などお寄せ下さい。
いただいた感想は、そのままプリントアウトし、仏前に報告させていただきます。
山本集の最後のメッセージが、皆様のお心に届きますように…。
〜男の死に際〜に寄せて
先日開催の山本集遺作展におきましては、遠方からも多数の方にご来場いただき
本当にありがとうございました。
本来なら、山本集が生きている間にどうしても開催したかった個展。
それを目標に、がんと告知を受けてからも意欲的に新しい作品を
生み出しておりましたが残念な事にこの夢が叶う事はありませんでした。
しかし、こうして一周忌を目前とし皆様のお力添えで遺作展を開催できました事、
今は亡き山本集になりかわりまして、心より深く御礼申し上げます。
この遺作展開催中には、不思議な出来事も多々ありました。
きっと画家になる前に描いたのではないかと思われる作品をお持ちの方に
出会ったり、十数年ぶりに再会できたファンの方、そして本物の富士山が
真っ赤に色づいた写真をお持ちの方に出会えたりと、
画家 山本集を中心に人と人との繋がりが、どれだけ素晴らしいかを再確認
することができた5日間でした。
今回、残念ながらお会いできなかった皆様。
いつか再び、山本集の遺作とともにお目にかかれる日がくるのを
スタッフ一同、楽しみにいたしております。
ありがとうございました。
男気のカタチ
オール巨人氏
オール巨人氏と五條市市長 太田氏
個展4日目。
今日は、男の世界独特の「義理人情」を目の当たりにしました。
写真でもわかるように、オール巨人氏が個展会場に来て下さいました。
山本集は、「この男は、今すぐにでもヤクザの世界に通用するほど男気のある人間や」
「義理人情のわかる肝の座った男や」と、常に周りの人に触れ回るほど、惚れ抜いていたのは、
山本のそばにいる私たちスタッフが1番良く知っています。
今回の個展を開催するにあたり、誰よりも早くお祝いの心を届けて下さったのもオール巨人氏。
世間の様々な厳しい風刺の中、親子で葬儀にも参列下さいました。
それを目の当たりにしてきた山本の旧友たちは、
口々に「あっちゃんの言ってたことは、ほんまやったんやなぁ」と感銘を受けておられました。
山本が数十年温めてきた巨人氏との交遊は、この先もまだまだ続けて下さるとの事。
スタッフ一同、ただただ感謝するばかりです。
と、そこへ現れたのが我らがアトリエのある奈良県五條市を担っておられる市長の太田好紀氏。
山本が亡くなる少し前に市長として着任され、お目にかかる機会があったのですが、
無骨な山本の事、かなり辛口に市政についての意見を述べていたのです。
お若く着任早々の太田市長でしたが、最後までお話を聞いて下さり
五條市の将来への重責に腹をくくっていらっしゃったご様子でした。
そんな太田市長に一目惚れした山本集。
自分の愛する故郷を安心して託す事ができると安堵した様子でした。
そんな男気溢れる男性2人が、初対面。
今日もそんな不思議なご縁に驚くばかりでした。
山本集がこの世で遺してくれた作品と、人脈と言う2つの宝物。
できる限り大事に大事に守っていこうと決意を新たにしたスタッフでした。
山本の仕業か!?この偶然!
辰吉丈一郎氏
葛西裕一氏と辰吉丈一郎氏
個展3日目、予想もしない出来事がありました。
上の写真をご覧になった方で、スポーツ好きの方…
いえ、スポーツ好きの方でなくてもご存知の葛西裕一氏と辰吉丈一郎氏が、
偶然、遺作展会場でバッタリ!!夢の共演を果たしました。
葛西裕一氏と山本は、彼が現役時代に、五條のアトリエへトレーニングを兼ねて
泊まりに来て下さったときからの古いお付き合い。
そして、この葛西氏を通じて西岡利晃氏http://ameblo.jp/omoidouri/とも交流を重ねる事ができたのでした。
そして、辰吉丈一郎氏にいたっては、きっと前世は親子だったに違いない!と
思わせるほど深い絆で結ばれていました。
そんなお2人は、ちょうど1年前、山本の葬儀にて顔を合わせたのですが、
その後「もう会う事はないだろうと」思っていた矢先、まるで山本集が
2人を引き合わせたかのように、偶然遺作展会場で1年ぶりの再会を果たしたのでした。
これには、ご本人達はもちろん、辰吉夫人をはじめとし、その場に居合わせた
山本の古い友人達も一瞬、言葉を失うほどでした。
その後、会場が大盛り上がりをみせたのは言うまでもないでしょう。
驚く事に…実は、個展初日に同じような出来事があったのです。
生前、山本が「ぜひ、紹介したい人がおる」と語っていたらしいお2人の男性。
お互いは全く初対面ながら、偶然同じ時間、同じ場所で顔を合わせる事に。
このときも「ほんとは山本画伯は、死んでないのと違うか!?」と顔を見合わせたのですが…
個展3日目にして、再び同じような偶然が起こったことで、
いよいよ山本の魂が、この会場に留まっていたと証明されたような気がします。
今回の遺作展には、こんな意外なお客様も…。
かねてから山本のファンでいてくださる男性お2人。
もちろん、このお2人の面識はありません。
しかし、この方々には共通項が…。
実は、お2人方とも大切なご子息に「アツム」と命名されていたのでした!
このちびっ子「アツム」君たち、今は見知らぬ他人同士ながら
いつかきっと、巡り会うときが来るのではないかと、話しています。
もし、そのときが来たら「アツムじいちゃん」の事を思い出してもらえたら最高です!
私たちの目には映らないものの、山本集の魂は確実に個展会場で皆様を
お迎えしているに違いありません。
今日は、こんな素敵な偶然に立ち会えたこと、
そしてわざわざ遠くからご来場下さった皆様に心より感謝いたします!
遺作展2日目
遺作展2日目が終わりました。
本日は、北風で枯れ葉が舞い踊るほどの寒さの中、
多くの方にご来場いただき誠にありがとうございました。
今日は、遺作展の作品の中で珍しい風景画をご紹介します。
それが写真に写っている「桜島」を描いた作品。
山本集といえば、「富士山」が代名詞のようになりつつありますが、
この「桜島」は、山本が忘れようとしても忘れられない場所。
と、いうのも…たまたま訪れた鹿児島で、血尿が出たことをきっかけとし、
「膀胱癌」が発見されたのでした。
ですから、この「桜島」を描く事で、癌との闘いに打ち勝ちたかったのだと推測されます。
これら「桜島」の作品の中から、山本の死闘が始まったのかも知れません…。