山本集公式ホームページ

ドスを絵筆に持ち替えて日本一の富士山に捨身で挑む異色の画家
 0747-22-2568
お問い合わせ

西の空からコケコッコー

●1.著書 西の空からコケコッコー から

 

人生50年というが、ワシはそのうち約30年も不良ばかりやってきた。

不良が高じて、しまいには本物の極道になってしまったが、純粋な野球少年だった時もある。

プロ野球選手にあこがれ、奈良の山奥から大阪の浪商に入った。

腕っぷしは強かったから、野球部の練習がおわってからもケンカや。停学も数え切れんほどあった。

そんなこともあってか、浪商野球部は一年間の出場停止を食らってしまった。

 

 一生懸命といえばカッコ良すぎるが、ワシは何でも力いっぱいやるのが好きや。

野球もケンカも力まかせだ。力を入れすぎて失敗する。智辯学園の初代野球部監督もやったが、

シゴキが厳しすぎるといわれて首になってしまった。

野球ができなくなったら、ワシにできることは不良しかない。

ケンカ、恐喝、バクチ ……… 不良の道を突き進めば、極道になるしかない。

 

 「男になりたい」の一心で、山本組も旗揚げした。

とはいえ、極道社会はそんなにカッコイイもんやない。命を落としそうになったことも何回かある。

頭のテッペンにあるハゲは、拳銃の弾がかすった跡や。刑務所暮らしも3回した。

両手の小指もない。恥じることさえあれ、天に誇れることは何ひとつない。

この五十年の半生で残ったものは、前科と背中の金太郎さんの彫り物だけや。

 

 こんなワシにも友人がいた。浪商同期の谷本勲だ。

「なぁ アッちゃん、いつまでヤクザしとるんや。

絵描くのうまかったやないか。絵描きになったらどうや」と勧めてくれた。

最初は極道が絵なんか描けるかい、と思ったが、

描いてみると懐かしい故郷の山と空がキャンバスに浮かび上がってくる。

「親分、カッコ悪いからやめて下さい」と子分からもいやがられたが、絵を描くことにのめり込んだ。

そして、組を解散して画家になる決心をしたんや。

 

 元極道の画家なんて世間様のモノ笑いになるかもしらん。

けど、極道が法務大臣になるわけやない。画家になるくらいは笑って許したって欲しい。

 

 「西の空からコケコッコー」なんて、けったいなタイトルや。

陽は東の空から上り、ニワトリが鳴く。けど、地獄に落ちた男が生まれ変わって、

西の空から夜明けを告げる覚悟なんや。絵描きになった以上、日本一の画家になるしかない。

それが、谷本はじめ温情をかけてくれた人々に報いていく唯一の道や。

 

●2.堅気の時、日本刀振りかざして殴り込み

 

ワシはその時、カーッと頭に血が上って突っ走った。

手本引きちゅうバクチで負けた金が7000万円。昭和39年のこと、今の金にすると何億やろか。

ワシが24歳、まだ堅気のころの話や。

 

 負けたのはええ。しかし、それがイカサマやと分かった。許せん。

考えてみれば、ワシはカーッときて突っ走ってばかりいた。血がたぎると抑えがきかん。

純粋といわれれば褒め言葉やが、要はアホで単純なんや。

 

 それでその賭場を仕切る組の親分の家へ夜中、日本刀振りかざして殴り込みに行った。

「親分はおるかい」ゆうと、姐さんが出てきた。

「休んではるわ」

「じゃ起こしてくれ、二階かい」

細い階段の二階、息もいれんとトントンと上がっていった。

その勢いでバーッと部屋に入っていくと、親分はワシの日本刀を見て

「何やそんなもん持って」と布団からはねおきた。

「ワシの金だまし取りやがって、何が親分じゃい」

と日本刀を振り上げると、親分は跳んで逃げおった。

 

今になって思うと日本刀というのはチャカ (拳銃) より怖い。

勢いでバーッと入っていくと、親分は逃げ場に事欠いて、ベランダから仰向けのまま庭へ落ちよった。

バンバンバーンとえらい音がしおった。こっちもビックリするくらいや。

ワシは下におりていって、

「オンドリャー、どんなつもりでイカサマしたんじゃ。殺したる!」

と、また刀を振りかざした。

そしたら姐さんが 「命だけは勘弁してやって」とワシの足にしがみついてくる。

親分は腰うって、足三カ所ほど折やった。

ウソかほんまか死んだマネしとったんちゃうやろか。

 

 親分は動かれへん。それで一緒に医者へ行った。

入院しとって、親分は病床で 「もうヤクザやめる」 と言いよった。

それでもイカサマしたとは言いよらん。

でも、堅気の人間に寝込みを襲われて、格好つかんちゅうてほんまにヤクザをやめよった。

 

 これはヤクザになる前の話や。

堅気が組の親分のところへ殴り込みに行ったことで、町中のウワサになった。

 

 末はプロ野球選手になってやろうと、浪商の野球部でハリ(張本)とともにシゴキに耐え、

智辯学園(奈良県)の初代野球部監督もやった。

智辯では浪商ばりのシゴキがきつすぎるちゅうてクビ。

ただ同然の石を拾い集めては庭石として売ったら、これがえらい儲かった。

バクチで負けたのもこの金や。

庭石やから極道に足を突っ込み、ついには武闘派といわれる組長にもなった。

 

 ドスをくくり付けた右手には、今は絵筆を握っている。

こないゆうたら笑われるかもしれんけど、

バット握るのも、ドスを握るのも、絵筆を握るのも、みんな同じワシの手や。

ワシが握ったもんは、たったひとつや。それは ゛死に物狂い ゛ というこっちゃ。

 

 

●3.人に頼まれ、またヤクザともめ事

 

地元のヤクザの親分の家へワシが一人で殴り込みに行った話は、

すぐに尾ヒレがついて広がった。

 

 最初は「えらい、バクチに負けたらしい」と噂がたち、その一ヶ月後ぐらいに

「向こうの親分がヤクザをやめたのは寿司常のおっさんにケジメをとられたからや」

という噂が流れる。

そんなカッコええもんとはちゃうがな。瞬間湯沸かし器に火がついただけのことや。

そのころ、ワシは故郷の奈良県五條市で寿司常ちゅう寿司屋と大和庭石店ちゅう庭石屋をやってた。

 

 まだ、23、24歳のころや。高校時代から「ごんた」やってたし、

ヤクザの親分のところへ殴り込みに行ったということで、

いろんな不良や悪さしている連中が集まってくるようになる。

「ごんた」ちゅうのは、関西の言い方だが硬派の不良という意味やな。

 

 このころ庭石屋がえらい儲かりましてな。

タンスのなかにいつも5〜6000万円は放りこんでおいたぐらいや。

こんなんしてるさかいイカサマバクチにやられてしもうたんやが……。

 

 庭石屋いうても、実は山や川の石を黙って盗んでくるんや。

それを東京や名古屋、京都と売りに行く。トラック一台6万円や10万円で売れる。

トラック10台ぐらいあって、若い衆が20人からおった。

「大和庭石店」と染め抜いたハッピまで作ってヤクザまがいのことをしておった。

それが楽しかった。

 

 みんなでつるんでそこら遊びにいって、なんぼ金つこうても残る。

なんせ元手いらずの商売や。まあ、ガソリン代ぐらいやね。

 

 金はあるし、若い衆は「おやっさん、おやっさん」と慕ってくる。

ワシも悪い気はしない。そうこうするといろんな相談事や、話が持ち掛けられる。

ワシの性格からいって人に頼み事されればイヤとは言えん。

義侠心が強いといえば格好いいが、早い話がええカッコしいなだけや。

そうこうしておるときにバクチ仲間から、こんな相談事が飛び込んできた。

 

 和歌山で人を7〜8人つこうて小さい繊維工場をやってる社長が、

地元のヤクザの金融屋に金を借りた。50万か100万円か知らんけど、

金の支払いが滞こうて工場の機械を持って行かれた。機械がなかったら仕事でけへん。

「おやっさん、ひとつ話したってくれまへんか」ちゅう訳や。

 またヤクザとのもめ事や。嫌な話やけど頼まれたらしゃあない。

深く考えもせんと、今は大組織の組長になっとる、その仲間を道案内役にさせ、

後にワシの舎弟になった若い者に車を運転させて行ったんや。

 

 

ヤクザの金融屋と直談判

 

 ヤクザの金融屋ゆうても、当時、和歌山で売り出し中の親分やった。

ワシが行ったとき、両腕に唐獅子の刺青を入れたそこの親分は、ちょうど風呂上がりで、

ビールを飲んでいた。ほかには姐さんと若い衆が一人いただけやった。ワシ、挨拶もそこそこに、

「繊維工場の社長とこの件で来たんやけど、

金返しますさかい、機械返してやっておくんなはれ」といった。

 

 そうしたら、「事の事情を知って来ましたんか?そんなもん、利息も払うてませんのやで」

とメチャクチャな利息をふっかけよる。

貸し金の半分やけど、ワシが立て替えて払うたろう思うて持っていった。

「あんたも極道やっとって親分と呼ばれる人やったら、堅気の人間を助けてやるのが、

ほんまもんの親分ちゃうのか」その頃、ワシはヤクザの筋や道のことや、話の仕方もわからんかったが、

ともかく、そう言うてやった。

親分は面倒臭そうに、ビールを飲み干しながらこないゆうた。

「あんた、寿司屋の大将らしいけど、何を生意気なことをぬかしよるんや。

市場で魚買うみたいにはいかん。筋ちがいでっせ、もう帰んなはれ。

こんなことに口はさむのは10年早いわ。玄関の名札見てきたんかい」

 

 何をコノーッ!とまた頭に血がのぼった。

気付くと姐さんが裏から事務所の若い衆に電話をかけとる。

ものの10分もたたんうちに車が何台もとまって、ダンダンダンと走ってくるのが分かる。

玄関あけて入ってくるなり、抜き身の刀を持ったヤツが、8人ぐらいいた。

一緒についてきた舎弟が、炊事場の刺身包丁をパッとワシに渡しよった。

 

 そのころドス扱いはよう知らんかったが、寿司屋やっとるから、刺身包丁ならこっちのもんや。

受け取るなり親分のエリ首をつかんだ。相手もよう動けん。力だけは誰にも負けん。

「オイ!待てェ!」

けど、この親分は動じることなくワイの目を見据えて言い放った。

こん時、この親分にワシの目を見据えてもらえんかったら、このままグサリといったかもしれん。

なんせこっちは勢いだけでしたからな。

「ワシは、この件を人から頼まれてやったきたんや。まとめんうちは生きて帰られへんのや」

と無我夢中で言った。半ベソかいていたかもしれんが、本心やった。

「よし。あんたの度胸にワシはほれた。わかった」と親分が言うてくれた。

 

 金は半分しかない。ワシ、とにかく持参した金を差し出して、

「あとは社長が払うから辛抱してやっておくんなはれ。

あした、機械を取りにくるさかい、よろしゅう」と頼んだ。

 

 帰りがけに親分から、

「あんたも体大事にな。無鉄砲にどこでも言ったらどんな人間がおるか分からん。

たまたまワシがあんたの気持ちにホレただけのこっちゃ」

 

 と言われ、もう汗ぐっしょりや。

帰りの車に乗った瞬間、ワシ、パッと気失った。

度胸があるゆうても、しょせんこんなもんですわ。

 

 

●4.女のことではヒモ男ともめ事

 

これもヤクザやる前の話や。

寿司屋と庭石屋をやっている時に、奈良の生駒ちゅう遊郭によう遊びにいった。

ただ同然の庭石を売りにいって、帰りにそこによって散財する。

たまたま、気に入った女が一人おった。

 

 アケミゆうちょっと頭は悪いが、純な若い子ですわ。

ところがヤクザのヒモがついておった。

どこえ遊びに連れていっても、なんかビクビクしておって、すぐに帰りたがる。

それがまたたまらずカワイかった。

 

「そんなモン、別れぇ。極道なんて、男のカスじゃ、別れてまえ」と言うても、

「いや別れられへん」

「そないに向こうの男がやさしいんか」 

「いいや、怖いんや」

よし、そんなもん、相手を探して話をつけてやる。

 

 イカサマバクチをやった親分のとこや、ヤクザの金融屋のところへ殴り込みに行ったりしていた。

ヤクザもんなんか、ちいとも怖いことない思うてた。

その頃は怖いということを知らん、無鉄砲を絵に描いたような男やった。

 

 女房と結婚したばかりの頃で、その遊郭のアケミのことがこじれて、

家へ連れて帰らないかんことになった。

女房に、

「おい、この子、アケミゆう子や。不憫な子や。なんぞおいしい物でも作って食わしてやってくれ。

今夜、泊めてやってくれ」

 女房はワシの若い衆の女やと思うたらしい。

袖を通しとらんサラの寝巻を着せて、一番風呂に入れて、それはそれは、やさしくしてやってくれた。

 

 それから、ワシは庭石屋の若い衆連れて、地下足袋はいて、相手の男を捜しに大阪へ行った。

ちょうどそん時、相手の男も、オレのことを気にしていたらしい。

女が最近、よう金稼ぎよるし、時々、外泊しよる。

蛇の道は蛇や。だてにヒモをやっとらん。「どんな男ができたんや」と思っとったらしい。

 

 ワシのこと調べて「奈良で寿司屋しとるガキやないか。それやったら金とったろかい」

と狙いをつけてきよったらしい。

 

 そんな事も知らんで、ワシは勢い込んで大阪へ行った。ところが相手の男は家へ行ってもおらん。

その男がよく行くゆう飲み屋や雀荘にもおらん。組事務所にもおらん。

「なんやねん、どこへ行きよったんや!」

さんざん探してもおれへんので、家に帰ることにした。そないして寿司屋の前まで来たら、

運転手が、「おやっさん!外車が2台来とりますわ!」といいよる。

神戸ナンバーと大阪ナンバーのアメ車が止っとった。

 

 アケミのヒモやっとるヤクザが大きい顔して寿司食っておる。他のお客さんが小さくなっておった。

「おやっさん、お帰りやす」と店のもんが言う。

おかしな雰囲気やから、うちとこの若い衆も寄っとったわけや。

 

 

山刀をサヤから抜くなり振りかざす

 

「おう、おまえがここの親方か。生駒のアケミのことで来たんやけど、

あれ、えらい大事にしたってくれとるらしいやないか」

こっちも探していた、ヒモやっとるヤクザや。

「ああそうでっか。そのことで来てくれましたんか。

ここは寿司屋でっさかい、その話やったら中へ入っとくんなはれ。

関係ないもんはクルマにでも乗って待ってておくんなはれ」

その男を座敷に上がらした。ワシはそん時、もうすでに頭に血がのぼっとった。

 

 うちの若い衆に、

「おい、入口、締めてしまえ。五寸クギ打ってまえ」こないゆうた。

うちの番頭しとるヤツが、

「あんたはん、どこのどちらはんか知りまへんけど、

そんな話でここに来て、下手打つことおまへんやろな」いうた。

 

 

 ワシは話し合いのルールもクソもあるかい、遊郭の女、金で買うて何が悪い。喜んでもらうのが筋やろ。

このガキ、ブチ殺してもどうっちゅうことないわいと思うた。

そのヒモも勝手が違う思うたんか、急にそわそわしだして、

 「どっかの組織の人でっか」 と聞いてきよる。

 

 「ワシは極道とちゃいますけど、極道やないと話ができまへんのか。

ワシは寿司屋と庭石屋の親方しとるもんやが、どうぞ話聞かせてください」

低姿勢にゆうた。

このヒモ男もそれで安心したのか、見栄ををきった。

 「女はワシにしたら命の綱、しのぎや。

持っとる茶碗叩かれるようなことされて、ワシの男が黙っとれへん」

えらい口の達者な男で、こうぬかす。

 「コラッ、おなごを働かして何をぬかすんじゃ!

おなごに金稼がしておいて、おなごの汁すうて、なにが男じゃい!」

 

 ワシ、もう切れてもうた。ぷっつんや。わけがわからんようになってもうた。

まず、寿司屋の湯呑み茶碗をヒモ男の頭めがけてバーンとぶん投げた。

なんや、かわしよる。余計に頭にくる。

アホな人間ゆうのはこういうもんや。うちの若い衆に、

 「オイ!山刀持ってこい!」

 

もう止まらん。うちの若い衆も若い衆や。

待ってましたとばかりに山刀を放り投げてよこした。こうなればやることはたったひとつや。

サヤから抜くなり、山刀を振りかざす。

 「ブチ殺したるわい!」

そのヒモ男は、3メートルぐらい座ったまま後へ跳び下がりおった。

 「ちょっと待っておくんなはれ」

 「待ってくれやと!おのれ極道やろ!」

 「いえ、堅気です」とぬかしおった。

気抜けてしもうた。けど怒りはおさまらん。

 「なんやと、腕ぶち切ってまえ!」

 

 うちの若い衆も、お調子もんゆうか、心得たもんゆうか、すぐに男を取り押さえにかかる。

 「堪忍してください、どんなことでもします」 そないゆうて頭を、テーブルに突っ込みよる。

 「あほんだら!おんどれが注文つけにきたんやないんか!」

 「金も払います」

 「オレは金くれゆうたか!」 余計頭にきた。

 「アケミとも別れますから」

と泣きよる。泣くヤツの腕は切れん。

けどワシは、何もかも気に食わん。やつらが着ている背広も、乗ってきたどえらいクルマも気に入らない。

 

ワシの若い衆も同じ思いやったんやろう。

表の2台のアメ車をガラス全部割って、クチャクチャにしたうえで、

ヒモ男と一緒についてきたチンピラをド突き倒しとる。

 

今度は女の方をしゃっきりせなあかん。

 「よし、女と別れるゆうたな。今後、一切、手ぇつけなや。そのかわりオレも別れたるわい、忘れたる」

 

 あとのこと考えんとえらいことゆうてしまった。なんでアケミと別れんならんのや。

ええカッコしいだけや。けど、もう引っ込みがつかん。

女房にゆうてアケミを呼び寄せた。アケミが今まで腐れヒモ男に、200万円貢いだゆうから、

 「それ払うたれや、あんばいようしとけ」

とゆうてヒモ男に一筆書かせた。

ヒモ男達はフロントガラスも割れてガタガタになったアメ車で帰っていきよった。

 

 ところが、このいきさつが女房に全部ばれてしもうて、しばらく口も聞いてもらえんかった。

ほんまに男の見栄ゆうのは、いつの時代でも辛いもんや。

 

 

 

●5.野球の好きな女の子のために野球少年に

 

 

 殴り込みの話ばかりが続いたが、ワシはもともと野球少年やったんや。

野球を始めたのは、中学の時やった。奈良県五條市の田舎育ちで、

バットなんか握ったこともなかった。

中学で好きな女の子ができて、その子が野球が好きやった。

それで野球部に入った。根が単純なんや。

 

 好きになった子のお父さんは画家やった。

その子は絵が上手で、頭が良くて、いつもクラスで一番やった。

単純ついでや、ワシも絵を描くようになった。

いつも二人で絵の賞をもらう。それがうれしくてうれしくて、ほんまに純やった。

 

 大人になって極道の道に入ったが、いま画家をやっとるのも、

その当時の潜在的な記憶があったからかもしれん。

 

 野球部じゃ、ワシは体が大きかったからピッチャーになった。

コントロールは悪かったが、スピードはめちゃめちゃ速い。

けど、とにかくストライクが取れん。それでオーバースローから、サイドスローに変えた。

これでどうにか試合で放れるようになった。

試合になったら、相手は三振かフォアボールや。相手はバットにもかすらん。県大会にも行った。

 

それで、将来はプロ野球の選手になったろうと思い、

親兄弟の反対を押し切って、大阪の浪商に入学したんや。

 

 当時の浪商ゆうたら全盛期や。甲子園では何度も優勝しとったし、

浪商からは坂崎 和彦(巨人)や山本 八郎(東映)と憧れのプロ選手がたくさん出ていた。

浪商に入れば甲子園に行ける。そしてプロ野球選手になれる。

そないしたら、大好きな彼女もオレのことを気に掛けてくれるやろう、

ひょっとすると結婚できるかもしれん。こんな夢を描いておった。

 

 大阪に初めて行った時、女の人が、マニキュアつけてハイヒール履いて歩いているのを見た。

あんまり珍しいから後をくっついて歩いとったら、お巡りさんに怒られたことがあった。

そんな純情な時がワシにもあったんや。

 

 憧れの浪商に入ってはみたものの、新入生400人のほとんどが野球部に入っとる。

レギュラーになるどころか、新入生だけで40チームはできる。

そやから、新入生はバットはおろおか、ボールにも触らせてもらえへん。

毎日、淀川のランニングや。それで上級生がちょっとでも気にいらんことがあれば、

バットでケツを思いっきりひっぱたかれる。「ケツバン」や。

脳天までズーンと響く痛さや。浪商名物のシゴキやな。

ケツがはれあがって、銭湯行っても前は隠さず、手拭いで後を隠して風呂に入ってたくらいや。

厳しい練習の中、淀川べりを走っとって、夕焼けで西の空が赤うなってきたら、

やっぱり、田舎が恋しゅうなる。まだ15の子供や。今の言葉で言うたらホームシックやな。

極道になって刑務所に入った時もそうやった。何度か懲罰房に入れられたこともある。

小さな窓からイワシ雲が見えたり、真っ赤な夕日が差し込んでくると、故郷を思い出す。

夢見るのもガキのころのことや。

 

 40歳になってヤクザの親分しておった時も、

やめて絵を描いてる今でも夢の中に出てくる女の子はセーラー服姿なんや。

 

 けど、ヤクザいうのは、そんなカッコのええもんと違う。見栄と虚勢の世界や。

鬼みたいな顔しとっても、心の中では虚しさと侘びしさでいつも泣いている。

一年前から画家として絵を描いとるが、どうしても故郷の風景が頭に浮かぶ。

桜の花が一斉に咲き、山中が桜に埋め尽くされ、秋には紅葉する山を思い浮かべると、

たまらない気持ちになる。ワシの絵の赤い色使いを、ある人は、「血の色のようだ」と言った。

そうかもしれん。カッコよすぎるが、ワシは自分の血を流すつもりで絵を描いとるのや。

 

 

 

●6.ハリ(張本) との出会い

 

シゴキの浪商で、ものすごいヤツに出会った。

野球部の新入生の中に、今は野球評論家の張本勲(元巨人軍)がおったんや。

きつい練習が終わって、夜、銭湯にいったら、ごっついガタイの男が風呂に入っとった。

「どっかで見たヤツやなぁ」とワシが思い出そうとしたら、そいつもワシを見て、同じ様な顔しよる。

そや、浪商野球部の同級生やないか。

野球部ゆうても新入生だけで400人もおるから名前が分からへんのや。

「おまえ、浪商野球部のもんやないか。オレは山本集ゆうんや」

「オレは張本勲だ。広島から来た」それがハリとの出会いやった。

それから、お互いに「練習つらいのぉ」という話になった。銭湯帰りに、ハリの下宿に寄った。

そないしたら机の上にアルミの弁当箱があった。遅い夕飯や。

弁当のおかずみたら、かまぼこの焼いたやつと梅干しだけというわびしいもんやった。

 

 ワシの方は、姉が京都の大学行っとったんで、奈良で材木屋をやっとるオヤジが、

ワシと姉のために浪商近くの淡路の小さい家を買うてくれた。

それで姉と二人で住んどった。考えてみれば恵まれた生活や。

 

 でも、ハリは想像もつかんくらい苦労しとった。早い話が貧しかったんや。

家からの仕送りゆうても、ハリの兄さんかなんかが給料から送ってくれていたわけや。だから、ハリは下宿代払うたらほとんど残らん。

15、16歳の野球やっとる者が、三度のメシを腹いっぱい食うても、すぐに腹が減る。

ハリはいつも腹減らしとったんとちゃうやろか。

 

 それで、ワシの家の2階が空いとったから「なんやったらウチへ来いや」

ゆうて、それから一緒に住むようになった。

一度、実家の姉からハリに来た手紙をこっそり見てしもうたことがある。そしたら、

「私らは銭湯へ行くのも節約して、お前が立派なプロ野球選手になる日を楽しみにしている」と、

こないなことが書いてある。ワシも子供心に涙流しましたわ。

 

 でもハリの練習はすごかった。

家へ帰った後も毎日、バットの素振り500回やるノルマを決めた。

野球やった人なら分かるやろうが、100回でもきつい。

それを500回やる。それが終わると体力的にも精いっぱいなのに、

ハリは、「まだ、やろう」と言う。「まだやろうて、約束が違うやなあいけ!」ワシがヘトヘトになって布団に潜り込んでも、

ハリはまだバットを振り続けるんや。布団の中に入ったワシの耳に、

「ビューン、ビューン」というハリのバットの音が聞こえてくる。

 

 やがて、ワシの隣の布団にハリがそっと入ってくるが、手のひらはズルむけや。

手を握ってられへんから、手を開いたまま夜風に当てて冷やしながら寝とる。

「すごいヤツがおるなあ。こいつの根性にはさすがのワシも負けや」と思うたがな。

 

 

ハリのハングリー精神は、さすが

 

野球もそやろうけど、なんでも才能だけやったらアカン。

よく「熱心や」ゆうけど、それでもアカン。

人に狂人やゆわれるぐらいでないとアカン。死に物狂いでやらんと、なんでも一流になれんのや。

それをワシに教えてくれたのが、ハリ(張本勲)やった。

 

 ハリの実力は1年の時からずば抜けておった。浪商のレギュラーなんか問題にならん。

甲子園にも出た先輩ピッチャー相手に4打席4ホーマーしたほどや。

 

 しかも実力だけじゃない。人の3倍は練習をやる。

このハングリー精神には、さすがのワシもかなわん思うた。

 

ハリとワシの前にリンゴが1個あった。食いたい盛りや。一人で食いたい思いますがな。

普通は「まあ、半分ずつにするか」と分けるが、

ハリゆうのは「自分が全部もろうてええか」と断るやいなや、まるごと1個食うてまう。

なんちゅうヤツやと思いますやろ。でも、違うてた。

ハリはプロ野球選手になる目標のためには、今このリンゴを食うんやゆうて食ってしまう。

他人からどう思われようが、そんなもん気にせんのや。

 

 一流になるには、そのくらいの決意が必要ゆうことや。

一流になれんヤツほど他人に気ぃ使う。お世辞も言いよる。

本物の一流になる人間は、他人なんぞに気ぃ使うてる間がない。

そして、自分が一流になってから他人の面倒見るんや。中途半端はアカン。

中途半端じゃ他人の面倒も見れん。これが、一流と二流の差や。

 

 浪商を卒業して、ハリは当時の東映フライヤーズに入団して念願通りプロ野球の選手になった。

ワシは不良しとって、しまいには極道の道に足を突っ込んでしまった。が、

ハリはいつもワシのことを心配してくれとった。

 

 いまワシは極道から足を洗って、絵を描いとる。それを知ってハリはなにくれとなく

ワシが画家になったのを宣伝してくれる。ありがたいこっちゃ。

あの時の1個のリンゴは惜しかったが、今のハリの言葉はリンゴ100個や200個できかんほどや。浪商時代の野球友達は結束が強い。

ワシに絵を描くように勧めてくれた実業家の谷本勲も浪商野球部の同級生だった。

「なあ、アツム、いつまで極道やっとるんや。

昔から絵が上手やったんやから、絵でも描いたらどうやねん」

この言葉で、ワシは絵を描き始めたんや。

 

 そんなワシらに一大事が起きた。浪商野球部のシゴキが社会問題になったんや。

その上、学校サボって街でケンカした選手が補導される事件まで起きた。

ワシらはみんな親兄弟の反対押し切って、

「甲子園に出たい」「プロ野球選手になりたい」

と思うて、浪商に来とる人間ばっかりや。それなのに、

シゴキ問題に野球部員のケンカがかさなって1年間の公式試合出場停止になってしもうたんや。

 

 

 

●7.出場停止に自殺まで考える

 

 

「甲子園に出れんのやったら、死のう!」

ハリ(張本勲)とそう言い合って、深夜の淀川べりを歩いた。

ワシもハリも甲子園に出たい一心で、親兄弟の反対を押し切って浪商に来て、

シゴキの練習に耐えてきた。

それが突然、1年間の公式試合出場停止や。

目の前が真っ暗になった。生まれて初めての大ショックや。

「死のう!」

ゆうたんはワシの方からか、ハリの方やったか忘れてしもうたが、ほんまにそう思い込んだ。

それでや、ユニホームのポケットに淀川の河原の石を目いっぱい詰め込んで、

そのまま淀川に飛び込もう言い合った。

今、思うと笑い話にもならん。

けど、ひょっとするとワシもハリもあん時で死んでしもうたかもしれん。

今でこそ殺しても死なんような顔してますけどな。

 ところが、自転車で巡回しとるお巡りさんに見つかってしもうた。

「コラ!お前ら何しとる!」ちゅうんですわ。

なんか、高校生がゴンタしとる思うたのかもしれない。

それでお巡りさんに泣きながら事情話した。

そのお巡りさんも九州出身のエエ人で、屋台のラーメンごちそうしてくれながら、

「ワシも田舎から出てきて、この仕事に入ったけど、いやなことばかりや」

と、人生観とやらを論してくれた。そして、家まで送り帰してくれた。

 家に帰っても口惜しくて涙が止まらん。

四畳半の畳かきむしって、10本の指のツメから血が出るほど泣きましたわ。

 

 ワシやハリは、浪商野球部の1年生の中から10人ほど選ばれたうちに入っていて、

たまたまバッティングやノックもさしてもらえる有望選手だった。

当時の中島春雄監督にも気に入られてた。

ところが浪商が1年間の出場停止くろうて、監督が代わった。

新監督は真面目すぎるほどの人や。そうすると監督にも好みゆうもんがある。

なんとなくワシやハリはのけもんにされるようになってしもうた。

大阪の人間は口だけは達者や。

ハリもワシも田舎もんやから、ようしゃべられへん。口が出る前に手や足が先に出てしまう。

やっと2年生になった。

今までさんざん上級生にシゴかれてきたから、この時とばかりに新入生をシゴいた。

ワシなんか先頭たってシゴいた。

ところが、新監督はこのシゴキを怖がって、すぐに、「やめとけ」と言う。ワシかて素直に聞かん。

「なんでや。シゴキが浪商野球の伝統やないかい。ワシらかて加減してシゴいとるわ」

新しい監督に何か言われると監督に食ってかかる。

野球のことやったら、中島監督のところへ相談に行く。

新監督にしてみれば、頭越しにされた思いますやろう。で、余計、目ェつけられる。

「そんなら休部や」

「オオ、上等や」

どうせ甲子園に出られんのや。かまへん。

そないしているうちに、ワシは練習行かんようなる。時間と体力持て余す。

街へ出てヨソの人間とケンカする。

こないしてワシのゴンタが始まった。

けど、そんな時でもハリは一人で黙々と練習してましたがな。

 

甲子園出場をスタンドで応援

 

 浪商の野球部が1年間公式試合出場停止になって、ワシのゴンタが始まった。

どうせ試合はできんのやから、と練習サボって街に出る。

なんせ目立つから、不良しとる連中にガン飛ばされる。

すぐケンカや。

体力を持て余しとるから、必ず勝つ。

それで自信ができて、またケンカしとうなる。相手はヤクザでも大学生でもかまわん。

 そのうち ″浪商のヤマモト・アツム″ゆうたら、

大阪のゴンタの世界では知らんもんはおらんようになった。

 

 ハリ(張本勲)もケンカは強かったが、やっぱりあいつの頭の中には野球しかなかった。

ワシらが3年生になったとき、やっと出場停止が解けた

夏の大会に備えて、また猛練習を始めた。ともあれ、あこがれの甲子園や。

 

 ところが、ハリとワシは突然、監督に呼び出され、

「チームから外す」言われてしもうた。

「なんでや!」

ハリもワシも食ってかかった。しかし、もう休部扱いされてしもうとる。

ハリが暴力事件を起こしたちゅう情報が流されたが、これはデタラメや。

今になって考えてみれば、ワシはゴンタやって停学にもなっとる。

ワシとハリは大の親友やったし、一緒にワシの家に住んどる。

それで、ハリも同じように見られてしもうたと思う。

シゴキと部員のケンカが原因で1年間の出場停止が解けた直後に、

またワシがケンカでもしたら、また出場停止や。危険分子を遠ざけておこう思うたのやろう。

 

 その年、浪商は大阪の地区大会で優勝して、甲子園に出場した。

昭和33年のことや。ワシとハリも涙流しながらスタンドで応援しとったが、

1回戦で魚津高校に2対0で負けてしもうた。

だれかれなく、

「ハリがいたら負けんかった。優勝しとったかもしれん」とゆうとった。

確かにハリが出場しとったら、ほんまにホームランの記録作っとったやろう。

高校生のレベルは超えとった。

こないして、ワシらの浪商野球いうんか、甲子園の夢は終わったんや。

その直後やったろか、ハリが

「アツム、相談ある」とマジな顔でゆうてきた。

「なんや」ゆうたら、

「実は、オレ韓国人なんや」ちゅうんですわ。

初めて打ち明けられて、

「えぇっ?」

とワシも驚きましたがな。

それで、在日韓国人ばっかりで野球チーム作って韓国に遠征すると言う。

「オレの最後のチャンスや。オレの甲子園や。行きたい。何が何でも行きたい」

と、ハリは真剣に話す。

 

 しかし、行くには当時の金で5万円いるという。

高卒の給料が6000〜7000円の時代に、高校生がおいそれと作れる金やない。

けど、ワシはこうゆうた。

「行けや。金ぐらいどないでもしてやろうやないけ。ワシに任しとき!」

 

 

 

●8.四苦八苦して五万円を集める

 

「金なんかどないでもしてやるわ。ワシに任しとき」

とハリ(張本勲)に大見栄を切ったのはいいが、当時の金で5万円もかかる。

これはハリも知らんことやし、もう時効やから初めていわせてもらうが、

まず、大阪のゴンタ(不良)仲間集めてバクチをした。

トランプのオイチョカブや。

ワシが親で、カード配って金賭けさせる。そないしたら、

「カブや!」いうのが出てくる。

みんなの手札を見させてから、ワシはおもむろに、

「クッピンや(カードAと9で親の総取りになる)」いうて賭け金を全部取る。

もちろん自分の手札は見せない。みんなワシが怖いからよう文句も言えん。

ワシの手札がカスばっかりでも連戦連勝や。

 

 けど、しょせんゴンタの学生相手のインチキバクチでは、5万円も集まらん。

当時、ワシの若い衆みたいなのが10人くらいおった。こいつら集めて、

「オイ!恐喝でもなんでもしてこい。とにかく金がいるんじゃい。行け!」

ゆうて、四苦八苦してなんとか金を集めた。

こうして5万円が集まった。ハリには、「親から借りた」

ぐらいのことゆうて金渡したんとちゃうか。

こないして、とにかくハリは在日韓国人の野球チームに入って韓国に遠征した。

向こうの新聞にハリがホームラン打ったと写真入りで載っとった。ほんまにうれしかった。

これがハリの甲子園やった。

プロからも誘いがあって、本当はハリは巨人に行きたかったんやが、東映フライヤーズに行った。

ワシが極道しとる時、ハリは巨人に移籍したが、この時、ワシは刑務所におった。

「ハリ、やっと念願がかなったのう」

と思うと、鼻柱にクーンと、五感の血が集まって暑くなりよったもんや。

 

 東映フライヤーズに行くと決まって、球団から3万円の給料がもらえるゆう。

そのころ、3万円いうたら、サラリーマンの半年分の給料や。

いよいよ契約金の話になった。ハリは、

「10万円くらいくれるかな」不安げに、ワシに聞いてくる。

「早実の王貞治が、何百万円と騒がれとる。オマエは日本一なんやから、同じだけくれと言うたれ。

面と向かって言えんかったら、横向いて言えや」と言うてやった。

ほんで200万円もらった。びっくりしましたわ。

 

 そして、いよいよハリが東京へ行く当日、先輩や後輩やみなで大阪駅へ見送りに行った。

ところが、ワシらがケンカした大学生たちが集まっている。

「ハリをこのまま東京へ行かせるもんか。東京へ行かせん、ハリだけエエカッコさせん」

とゆうてる。そやけどハリを東京へ行かせんわけにはいかん。

この時こそワシの出番や。

「よし、アンタらも大学生や。ワシはハリを行かせんわけにはいかんのや。

どんな話でも受けるから、ここはひとつアンタらも男として、恨みつらみは別として、

行かしてや、行かしたってくれや」

と大勢のいる前で地べたに頭をつけた。さすがは大学生や、

「分かった」とゆうてくれた。

 

ワシは後にも先にも地べたに頭つけて頼み事をしたのはそん時が初めてや。

そんな時でも、さすがにハリや。えらい能書きを言いよった。

「浪商の張本も男です。今度帰るときは必ず錦飾って帰るから、見とってくれ」

大勢に見送られ、ボロボロ涙流して別れたんですわ。

 

 

智辯学園野球部初代監督に就任

 

 ハリ(張本勲)は念願のプロ野球選手になったが、ワシは甲子園にも行かれへんかったし、

プロ野球からも声がかからん。ゴンタばっかりやっていた。

何度も停学になって、本来なら放校処分になってもおかしくないぐらいのワルやったけど、

まあなんとか浪商を卒業させてもろうた。

 

けど、こんなワシにもスカウトは来た。大学の空手部や応援団からや。

プロ野球の選手になりたくて大阪に来たのに、こんな話、人にゆえん。

やっぱり、まだ野球に未練があった。

 ちょうどそん時、ワシらをかわいがってくれた浪商の中島前監督が、

大阪の経済大学の野球部の監督をしとった。まあ、この大学の野球部は弱かったが、

監督の顔もあるし、経大で野球をやろうと思った。

そないして大学出て田舎にでも帰り、体育の教師でもなろうと考えた。

 

 入学する前に、経大の野球部へ練習いうんか、遊びに行った。

「浪商のヤマモトアツム」ゆうたら、

当時、大阪のゴンタの間じゃ知らんもんはおらんぐらい有名やった。

大学生の先輩達は一目置いてくれるどころか、上手さえゆうてくれた。

ある日、練習を終えて部室に行ったら、先輩が後輩をシゴいていた。

10人くらいで、2人の1年生をどついておった。

ワシはシゴキは好きやが、大人数でやるのは好かん。これは単なるいじめや。運動部の男のやることではない。

 

それでワシ、とっさに、「もうええやないか」と止めに入った。

相手もワシと知りながらも、やっぱりカッコつかんと思ったんやろう。

「何や。おまえまだ入学しとらん高校生やないか。口挟むんやない」

こないゆわれて、カーときてしもうた。ワシ、中島先生の事も忘れて、

そこらにあったバット拾うてその先輩方、みんなをひっぱたいた。

そないしたら先輩の一人が二十何針縫う大けがしてしもうた。大問題になった。

「アカン、中島先生に合わす顔がない」

こない思うたが、もう手遅れや。

これで大学で野球する話も、大学を出て教師になる話もみんなイッペンに消えてしもうた。

 

 こんなことがあって、ワシはんまに反省した。

「ゴンタも、年貢の納め時や。ワシも親孝行せにゃしゃあない」と思うて、

神戸の材木屋に丁稚に行った。

ほんでもワシ、なんかあるとすぐカッとなる瞬間湯沸かし器みたいな性格でっしゃろ。

材木屋に入って14日目に集金行かされた時、この息子が、これまたゴンタで、

オヤジに金たかっとった。

このオヤジもゴンタの息子になんぼでも金渡しやがる。

「エエカゲンにせんか。オマエ、親のカネ取るな!」

ゆうて親の前で、ゴンタの息子ド突き倒してしまったんや。

それでもう材木屋の親方んとこえ帰れん。得意先の息子、ド突いたんやから。

しゃあないからその足で故郷の奈良へ帰った。

実家も材木屋やってたが、毎日ブラブラして、暇と体力持て余して、またケンカや。

警察が来て、公務執行妨害やら傷害やらで捕まってしもうた。小さい町のことやから大騒ぎですわ。

親が情けない顔して、警察に呼ばれた。

身柄を引き受けてもろうたが、警察出て、信号待ちしてる時に逃げたんや。

 

 それから、丸善石油に入って社会人野球をやったり、まあいろいろなことがあった。

でもやっぱり野球がしたいゆうんか、未練があった。

そないしてたら中学の恩師から、

「今度、智辯学園ゆう高校ができる。そこに野球部も作って、熱入れるゆうとる。

アッちゃん、心入れ替えて監督やってみんか。一回、そこから甲子園行きや」

と言われた。

 

 24,25歳のころだった。うれしゅうて、そりゃあ張り切った。

ところが、智辯学園に行ってみたらグラウンドゆうてもタンボならした石ころだらけのところだった。

部員も150人くらいおったけど、みんな1年生で、しかも野球どころか、

キャッチボールもしたことないような連中ばっかりや。

「どないしたらいいんや」

とさすがのワシも途方に暮れてしもうた。

 

 

 

● 9.練習量だけは浪商に負けん

 

 

 智辯学園ゆうたら、今でこそ野球で有名やが、ワシが初代監督を引き受けた時は新設校だった。

1年生ばっかりの部員が150人くらいおったが、

中学ん時、野球やってたいうのは2、3人しかおらん。

ワシ、選手と父兄を集めてこないゆうた。

「おまえら甲子園行きたいんか。

 そうか、なら2、3年で行かしたる。そんかわり死んだ気でやるんや」

 

 野球部のグラウンドから甲子園のほうを見ると、金剛山いう雄大な山がある。

「おまえら、あの金剛山越えんことには、甲子園行けんのや!」

というて、練習に練習を重ねた。練習がきついゆうて、一人やめ二人やめる始末やったけど、

なんとかコイツらを甲子園出したろう思うて没頭した。

 

 実は、その頃、女房と新婚やったが、女房なんかそっちのけや。

奈良県では天理が強い。彼らは5時間練習する。こちらは伝統も実力もない。

「10時間練習して当たり前や。15時間練習して五分や。

それでも天理に勝とう思うたら、20時間やらんと勝てん。

ということは夜も眠れへん。それでも甲子園出たいんやろう」ちゅうもんですわ。

 

最初は、キャッチボールも満足にできん連中やったが、ようやくバットに球が当たるようになって、

「試合したい」いう。

「なら一番弱い高校探せ」いいましてな。

しかも同じ奈良県じゃカッコ悪いから、和歌山県の伊都高校と練習試合をやった。

 

 うちが、先攻だった。1回表の攻撃や。1番はファウルフライ。次は、サードゴロ、3番は三振や。

さあ、1回の裏の守りや。ところが、2時間守ってばっかり。

点数なんか数えきれんぐらい、相手が入れよる。もうベンチに座ってられへん。

「すんません、迷惑かけました」とゆうて帰った。甲子園どころの話やおまへん。

 

 その頃、ワシの後輩で平塚ゆうのが浪商の監督をやっていた。

「山本先輩が、智辯でえらい苦労しとるらしい」とゆうて、練習を手伝いに来た。

ほかにも、山本を男にしたるゆうて先輩や同級生や、

大学に行って一流になった人まで来て野球を教えてくれる。

すると選手もやる気が出てくる。だから智辯の野球の基礎は、浪商野球なんや。

 

1年たって、1年生と2年生合わせて25人くらい連れて浪商へ合同練習試合しに行った。

そしたら、浪商のピッチャーの球、だれも打てん。

その頃の浪商は弱くなっていて地区大会の3回戦で負けるようなチームになっとったが、

手も足も出ん。

それから、口では言いきれんような練習をした。

「練習量だけは浪商に負けん」これだけを選手に植え付けた。

 

 朝は午前4時から8時まで、授業終わったら、3時から夜の11時まで。一日12時間の練習や。

選手をみなワシの家へ住まわして寝るのは3〜4時間。もちろん毎日や。

そうやって浪商に練習試合を申し込んだ。

「おまえら、この半年間、浪商の3倍は練習した。

 負けるわけはない。もし負けよったら、死ね。死ぬ気でやれ」

選手は死に物ぐるいで試合をやった。なんとあの浪商に勝った。

気合い勝ちや。こうなると選手も自信がわいてきよる。信じられんほど進歩もする。

 

 

山本流の『勝つ野球』で夢が近づく

 

 

智辯学園は昭和41年に創設された新設校、

しかも翌年にできたばかりの野球部が創部2年目にして、あの浪商に勝った。

そらぁ選手は本気になるし、監督になったワシかてうれしい。

その後、20校以上と試合したが、いっぺんも負けん。

公式試合が近づくと、マスコミも「智辯、創部2年で甲子園初出場か」と騒いで、取材に押し掛ける。

 

 さあ、そないなったら、「いったれ!」ちゅうもんや。

ワシの練習方法は徹底した反復、繰り返しだった。

1アウト一塁で、バントで送る。これを毎日続ける。

いろんなケースを想定して、ひとつのことを最低1ヶ月はやる。

 

 例えば、9回裏の攻撃、1対1の同点で2アウト三塁や。

そないしたら、バッターはちょっとバットを長めに持つ。

相手のキャッチャーのミットにぶつかるようにバッティングする。

これで打撃妨害になって1点や。何がなんでも勝つ。これが山本集流の勝つ野球や。

 

 一日12時間の練習をこなし、選手は絶好調やった。気合いも十分や。

これなら甲子園に行けるかもしれん。ワシもこれで男になれる。

夢がかなえられる。そないな確信があった。

 

ところが、ある日の朝、いつも通り午前4時ごろ、学校に練習に行くと、

グラウンドに新聞社の旗立てた車がようけ来とる。

「ほう、うちも強うなったから、こんな朝から取材に来るようになったんか」と思うて鼻高々や。

記者たちは、「この練習、まだ続けるんですか?」と聞いてくる。

なんや、おかしなこと聞きよるなと思うたが、

「もちろん、やりますよ」

と胸を張って答えた。そうすると、

「高校生は勉強もしなければいけないのではないですか?」

と聞く。そらぁ、あんまり勉強はしてないが、

「勉強は勉強でやってますがな」

とワシが答える。なんか雲行きがおかしい。しまいには、

「この練習を本当に正しいと思いますか?」と聞きよるから、ワシは、

「正しいもなにも、悪いことなんかしてまへん」ムカッとして答えた。

こないなやり取りがあった翌日、新聞にデッカイ記事が載った。

「練習かシゴキか。生徒の人権を無視した智辯野球部」

 

 えらい社会問題になった。高野連が乗り出してきて、野球部は半年間の出場停止になる。

ワシは人権擁護委員会に引っ張られる、警察にも呼ばれる。

こん時のショックゆうたら、大変なもんや。

監督を辞めなしゃあない。甲子園への夢はまた断たれてしもうた。

ワシは選手に泣きながら、

「監督が代わっても、おまえらの目標は変わらんはずや」

と最後のあいさつをした。選手のワイワイと声出して泣きよる。号泣や。

 

ワシが監督を辞めた直後や、おとなしかった選手たちが学校中の窓ガラスを割るくらい暴れ回った

ゆう知らせが入った。

「ああ、選手たちは、オレのことを分かってくれとる」

それだけがワシの唯一の救いやった。

 

 

 

●10.ヤクザになったる!

 

 

智辯学園野球部の監督を辞めさせられて、

ショックちゅうか気合い抜けしたゆうんか毎日、魚釣りばっかりしておった。

そないしとったら、その筋の方から、

「うちの組に来いへんか」と声が掛かるようになった。

今でゆうたらスカウトや。山口組からも来た。

もし、あの時、山口組に行っとったら、ワシの人生も変わっとったろう。

 

 ヤクザから声が掛かるのも無理はない。

ワシは監督やりながら、奈良県五條市で寿司屋と庭石屋もやっとったが、

そのころもケンカばっかりやっとった。

インチキバクチにだまされてヤクザの親分のところへ殴り込みに行くわ、

ヤクザ金融に乗り込むわで、ヤクザ以上のことをやっていたんや。怖いもの知らずや。

田舎のことやから、奈良から和歌山の隅まで“ヤマモト・アツム”の名前は知れわたった。

不良やら何やらが、

「おやっさん、おやっさん」と寄って来る。本物のヤクザが目エ付けんはずがない。

しかしいくらゴンタで名を売っていたからとゆうて、本物のヤクザとなるとワシも迷った。

 

 そないしてる間に、智辯学園の甲子園出場が決定した。

ワシが監督クビになった翌年、野球部創設からわずか3年目のことだった。

レギュラーはワシが一緒に寝泊まりして教え込んだ連中ばっかり。

悔しいのか、うれしいのんか、涙が止まらんのや。

 

 選手たちは、「山本さんとこへ報告に行く」ゆうて、みんな来よる。

ワシも、「よかったな」と口ではゆうてみるが素直に嬉こばれん。

けど、選手たちはなんやかんやゆうてワシのとこへ来る。もう身の置きどころがあらへん。

選手たちは憧れの甲子園に行く。けど、元監督のワシは相変わらすのゴンタやっとる。

「奈良にはもうおれん」と思った。

「ええわ、こないなったらホンマモンのヤクザになったる。男を磨いて、日本一の親分になるんや」。

 

 そない決心したからには、やっぱり大阪や。

今ならみんな山口組に行くようやが、当時はそないに有名やなかった。

ワシが訪ねていったのは、諏訪組淡路会だった。諏訪組には諏訪健治いう親分がおった。

当時もう60歳ぐらいだったが、立派な親分やった。

 

直接の世話になったのは、淡路会の大西敏夫会長で、

これがまた、昔の映画に出てくるような侠客肌のエエ親分や。

貧乏だったが、堅気の衆や子供にも人気があった。

そこの若い者頭に、ワシは浪商にいてゴンタやっとったころから飯食わしてもろたり、

色々世話になったことがあったんや。

 

 極道になるんなら、ここや、ここしかない。

そう思うて、若いもんを20人ぐらい引き連れて大阪に向かった。

あれはワシが26、27歳のころやった。

 

 

ヤクザに憧れて

 

 「なんでやくざになったのか?」

極道から足洗って、こうやって絵描いとると、いろんな人に聞かれる。

ヤクザやっとる最中も友達が聞いてくる。

浪商野球部で同じカマの飯を食い、今は実業家の谷本勲もそうやった。

けど、そんなんは若い血気盛んなころは耳も貸さん。

 

 今でこそヤクザの裏も知り尽くし、ヤクザなんかなるもんじゃないと言える。

しかし、ゴンタやっとった時はカッコエエなあと思ったもんや。

初めてヤクザに憧れたんは浪商のころやった。

ワシらが3年生になって修学旅行の話になった。

けど、そのころの浪商ゆうたら硬派といえば聞こえはいいが、ワルで有名やった。

先輩たちも修学旅行に行っては暴れ回っとった。

それで、どこの旅館も浪商には貸してくれん。そこを先生方がえらい苦労してなんとか旅館を探した。

問題は、いつもゴンタやって何度も停学になっとるワシや。校長室まで呼ばれて、

「絶対ケンカしません。おとなしくします」

ゆう誓約書を書かされて、やっと修学旅行に行かせてもろうた。

 

行ったのは日光やった。旅館について大浴場につかって、日本酒を盆に浮かべてイッパイやっとった。

ワシらにしてはおとなしいもんや。

ところが、そこへ、仲間の一人が、

「浪商のヤツがだれかに殴られた!」と駆け込んできた。

「なにィ!仕返ししたる!」

 

 そないなったら、ワシの性格や。

校長に誓約書書いたことなんかすっかり忘れて、風呂から飛び出した。

パンツだけ履いて黒い革靴引っ掛けただけの格好で温泉町を突っ走った。

パンツ一丁で走るワシの後ろを同級生がみんなドドーッとついてきよる。

一番最後には先生も「なんとか止めなならん」と必死になって追っ掛ける

まるで漫画みたいな光景やが、ワシは真剣や。

 

ここでやめたら、“浪商のヤマモト・アツム”の名がすたる。

ワシは途中にあった金物屋でデバ包丁かっさらって、

「どいつや。うちのヤツをド突いたんわ」と探しまわった。

日光の杉並木のとこで、だれかが、「こいつらや!」と叫んだ。

そこには浴衣姿のオッチャンが3人おった。

「おんどりゃ、ブチ殺したるゥ!」ゆうて、一人のエリをつかんだ。

そないしたら、立派な彫り物がパーッと目に入った。相手がヤクザやろうが、そんなん構わん。

デバ包丁をブチ込もうとした時、パトカーがサイレン鳴らして来よった。

その浴衣姿の極道は、ワシの手から包丁取ってパッと浴衣の中に隠したんや。

 

 「なんでもおまへん」

その極道は警官にそうゆうて、パンツ一丁のワシをかばってくれた。

「ニイちゃん、いい度胸しとるが、無理したらアカン。まあ、あとで遊びに来いや」

ゆうて、泊まってる旅館を教えてくれた。

 

 今度はちゃんと学生服着て、その旅館に行った。

大広間でほんまもんの極道が宴会やっとる。料理も修学旅行の飯とは比べもんにならん。

きれいな芸者さんも仰山おって立派なもんや。

親分に会わせてもろうて、酒もごちそうになった。

帰り際、万札がぎっしり詰まっとる財布からゴッソリ小遣いまでくれるんや。

「カッコエエなあ、男やなあ」。ゴンタやっとったワシはすっかり圧倒されてしもうた。

 

 

 

●11.ヤクザ最初の刑務所つとめ

 

 

ほんまもんの極道になる決心をして、奈良から大阪に出た。

ほんまもんの極道になる決心をして、奈良から諏訪組系淡路会の大西敏夫会長のところに世話になったが、

そのころの淡路会は20人ほどしかおらんところに、

ワシの若い衆が20人もついてきたんで、いっぺんに淡路会は大きくなってっしもうた。

アパート借りてメシ食わしてもろうたが、いま、考えるとほんまに迷惑かけたと思う。

 

 なんせそのころのワシらゆうたら、金もうけなんか全然知らなかった。

ゴンタゆうか、ケンカだけやっとればいいと思っていたんや。

ワシも後になって一家構えて分かったが、そんなんはあとの祭りや。

 

 ワシらの頭ん中には、ケンカしかなかった。

当時、ヒト一人殺したら5年やった。

はよう刑務所行って、金バッチつけたい。そればっかり考えとった。

 

 

そないしとると、あろ日、親分の親しい寿司屋のオヤジが、酔っ払った客に刺された。

ワシらは、みんなと親分の家でメシ食ってたが、その寿司屋のおかみさんから泣いて電話があった。

ワシらは、親分と一緒に駆けつけた。

親分は寿司屋に着くなり、

「どいつじゃ!」

ゆうて、すし屋のブ厚いマナ板を持ちあげ、刺した男の頭をポーンや。

男はひっくり返ってアワ吹いて目ェむいとる。

「こりゃアカン。死ぬぞ、病院連れてきや」いわれてワシ、病院へ担ぎ込んだ。

ところが、あたりどころが悪かったのか、その男は1週間ほどで、死んでしもうた。

警察が来よった。

あんなブ厚いマナ板持ってド突くような男ゆうたら、相当力のある人間や。

警察から、

「そんな力あるのだれや」と聞かれて、

「ワシや」と答えた。親分の身代わりになったんや。

 

 傷害致死や。裁判受けて、大阪刑務所に2年、これがワシの最初のつとめになった。

「これで男になれる、出てきたら金バッチや」と意気揚々と刑務所にいった。

 

ところが、刑務所いうところは、ほんまにエライとこやった。先輩に聞いとった話と全然違う。

町の乞食でも着んようなぼろぼろの服きせられて、うちの犬でも食わんようなものを食わす。

この世の中にこんな所があるんか、思うたぐらいや。地獄とはこんな所をいうのやろう。

しかもワシは態度は大きい、すぐに口答えするゆうて、袋かぶされてド突きまくられる。

何度も懲罰房に入れられた。

 

 刑務所行って、鉄格子から真っ赤な空が見える。窓の外にイワシ雲がパーッと浮かんでいる。

生まれたばかりの子供はどないしてるやろう。夢見るのもガキのころのことや。

初恋の女の子がセーラー服着とる。そして田舎の夕暮れの光景や。

 

 ワシの絵は、赤が多いいわれる。紅葉の赤、夕暮れの赤や。

ツライ思いして、2年間のつとめを終えたが、ヤクザいうのは、泣いて辛かった事はひとつも言わん。

見栄と虚勢の世界や。本音はひとつも言わん。かっこばかりつけとる建前の世界なんや。

 

 

殴り込み初体験

 

親分の身代わりになって傷害致死罪をかぶって、大阪刑務所で2年間つとめた。

出所の日に、親分や身内のもんや、みんなが出迎えてくれる。

刑務所の中であんだけツライ思いしたのに、ゲンキンなもんで、「ごくろうさん」の声に

つい、高倉健や。またその気になる。

出所すると、やっぱりみんなの見方が変わってくる。兄貴分が、副会長になっていて、

ワシに若い者頭になれゆうてくる。そのころには淡路会の組員が120人からに増えとった。

 

 兄貴から

「オレに命あずけてくれ」といわれて

「よっしゃ」てなもんや。

「いつかワシも親分になってやる。そのチャンスがやっと来た」と思った。

 

 最初によその組に殴り込みに行ったのも、この時や。

殴り込みやるとなったら、大きい刀は部屋ん中では、よう使いこなせん。短いヤツや。

それも布で手にぐるぐる巻きにする。こないしたら叩かれても絶対に手から離れん。

週刊誌を濡らして腹にサラシできつく巻き込む。そのうえ火バシを両の腕に巻きつける。

こないして腹と両の腕を守って、頭に鍋くくって、地下足袋履く。

これが当時の殴り込みスタイルや。

 

 その時、一緒に殴り込みに行ったのは3人やった。車に乗り込むとき、後部座席の真ん中に

乗ったら出るのが少しでも遅くなるから、ちょっとでも助かるな、いう気持ちは本心にはあった。

けど、それじゃ格好がつかん。相手の事務所の前に着いたら電気がパァーッとついとった。

抜き身のドス持ってドアを蹴破ったが、よう見るとドアがほんの少し開いとる。

しかし、興奮しとって何が何やらよう分からん。

酒なんか一升ぐらい飲んどってもちぃとも酔えへん。

 

バァーッとドア蹴飛ばして、中へ入る。ところが、敷居につまずいて転んでしもうた。

すぐに立ち上がろうとしたが、コロコロひっくり返って立てへん。

足がしゃちこばって立てへんのや。立っても、またひっくり返る。

「ウワァーッ」と声だけしか出ん。

そないしたら頭の上で、「バン!バン!」と拳銃2発、撃たれた。

 

 ワシはしょんべんと冷や汗やなんかでもう体じゅうがベタベタや。

もうアカン思うたが、とにかくその拳銃持っとる男にかかっていった。

そないしたら、なんか様子がおかしい。拳銃持っとるヤツが、

「待て、待たんかい」ゆうて逃げよるやないか。おかしい思うがな。

 

 そないしたら後ろに兄貴がおった。

後から分かったんやが、兄貴が先に行って話をつけておったんや。

さすがはワシが惚れた兄貴分や。不様なのはワシや。

 

 これがワシのヤクザになって最初の殴り込みや。みっともない話やけど、ほんまの姿や。

高倉健の映画もように格好よくは絶対にいかんのや。

 

 

●12.舎弟のために「女のもめごと」

 

 

 ヤクザの世界は、親分のいうことは絶対や。

ワシは諏訪組系淡路会の大西会長の子分になったが、刑務所帰りちゅうことでハクがついた。

しばらくしてから若い者頭に抜擢された。そりゃ大出世や。

入社そうそうの営業マンが、商品をひとつふたつ売ったかて、営業部長にはなれん。

ところがワシの場合、一息に常務になったようなものや。

けど、ヤクザいうんは上に行けば行くほどツライ商売なんや。

 

 若い者の面倒は見なきゃならん。かといっていざケンカとなれば先頭きって行かにゃならん。

親分も男にしなきゃならん。ヘタ打ったら、すべての責任を背負わなならん。

組織を大きくせなならん。これが頭の宿命ちゅうもんや。24時間、ほんまに休める間がない。

 

 極道の世界に入って10年ほどで一家を持って組長になったが、

組長になったら少しはいいめ見られるやろう思うていたが、それがまた違う。

子分の中には出来のワルいのもおって、つまらんケンカをしてくる。

酔っ払った上のケンカでも、組あげての抗争になることもある。

金と女でええ思いすることもあるが、金で苦労することの方が多い。

 

1年365日とすると、ええ思いすんのは5日ほどや。あとの360日はツライことばっかりや。

そりゃ金の入った時は、盆と正月が一緒に来たようなもんや。

女房や子供連れて、若い衆連れて、百貨店ごと買うたるゆうぐらいの勢いや。

けど落ち目に時は、目もあてられん。

ごはんに醤油かけて、おしんこのしっぽかじって1ヶ月間過ごすこともある。

 

 親分のためや、組織のためやゆうては、

自分なりの言い分をつくっては、ほんまに悪いことも仰山やった。

 

 ケンカ専門や、武闘派やいわれていい気になってたが、ワシは本当は気が弱かったんや。

ケンカ好きやったのは、やっぱりヤクザの世界では強いのが法律や。

そん中で男をあげるのはケンカしかない。そう信じとったんや。

 

 ワシも女は好きや、そやけど女のことでウジャウジャするのは大嫌いや。

だからヤクザやっていても、女とシャブだけは手ェ出さんかったし、若い者にも禁じとった。

ところが、ワシが刑務所を出たばっかりのころ、

京都の雄琴のソープランドの女のことである組ともめてしもうた。

いや実は、女のことだと知らずにもめてしもうたんや。

 

ワシの舎弟が、しばらく刑務所に入っとって、出てきた。

この舎弟はワシに隠しとったが、ずーっとソープランドの女のヒモをやっていた。

ところが刑務所に入っとる間に、女がある組の女になってどこかへ連れていかれてしもうた。

自分で何とかしよう思うたが、どうも話がこじれそうになった。

 

 そこでワシに相談した。

けどワシもワシの若い者もヒモなんて御法度や。

そこでワシに女のことは隠して、相手の組と交渉してくれちゅうことになった。

ワシにとってほかの組との交渉いうんはケンカのことや。

ワシは女のもめ事とも知らずに、

こりゃ売り出す大きなチャンスやと思うて、そのケンカを買うてしもうたんや。

 

 

組とのケンカで売り出すつもりが…

 

 その交渉ゆうか、話し合いは、相手も5人。こっちも5人や。

待ち合わせの場所は名神高速道路のあるインターそばのレストランや。

ヤクザの話し合いはうまくいく時もあるが、うまくいかん時もある。うまくいかん時はケンカや。

もちろんケンカとなればルールはない。勝ってなんぼや。

 

 それで、まず話し合いに行く5人のほかに、3人を、車に乗せてケツにつけさせた。

話し合いに行く連中はもちろん丸腰や。けど後ろから行ったヤツには道具持たせる。

話し合いがこじれたら、38口径の拳銃をぶち込むんや。

 

まあ、ここまでやったらだれでもやる。相手もやってくる。これじゃあ五分のケンカや。

ワシはこれとは別の3人に道具とポケベルを持たせて、相手の組事務所のそばで待機させた。

話し合いがこじれる。その場でドンパチや。

と同時に相手の組事務所近くで待機しとる連中のポケベルが鳴る。

 「ぶち込んだれ」いう合図や。

やつらは相手の組事務所に弾ぶち込む。これがヤクザの、しかも勝つケンカや。

 

 ワシは話し合いに行く連中に、

「金で話しつけたらあかんぞ。何がなんでもケンカにもっていけや」 ゆうて送り出した。

ところが、話し合いがついてしもうたゆうて帰ってきよる。しかも、金を200万円持ってきた。

「なんじゃ、これは!」

ワシかて金は欲しい。だが、ケンカで売り出したい気のほうが強かった。

 

 ところが、話し合いに行った連中の話を聞くと、女とのもめ事やったという。

「女と別れるゆうてます。ワビ料として200万円出しよったんや」

若い連中の報告聞いて、ワシはカーッとなった。

そして、このもめ事起こしたワシの舎弟の方を見た。

「おのれ!もめ事いうのは女のことやったのか!」

ワシはその金を舎弟にぶつけ、木刀でメッタ打ちにして、半殺しにしてやった。

 

ほんまに情けなかった。

女とのもめ事にワシの若い衆に体張らせたんや。その舎弟やなく、自分自身に情けなくなったんや。

 

 

●13.友達や後輩には迷惑かけられん

 

 

ヤクザやっとって、つらいことばかりやったが、その中でも一番つらいのは、

浪商時代の同じ野球部のメシを食った友人たちの存在や。

 

 ヤクザは、親分、子分の盃かわしてから、まず、ほんまもんの親との縁を切る。

縁を切るだけやったらええ。

次に親兄弟を食いもんにする。そして次に友達も食いもんにすんのや。

自分の身近にいる者から順に金をむしり、時には、ワナにはめ、

利用して骨の髄までしゃぶり尽くす。これが、ヤクザの生き方や。

 

 けど、ワシはこれができんかった。

そりゃ、親からはムシリ取ったこともあった。けど浪商の友達にはできんかった。

 

 ヤクザゆうたらバクチがつきもんや。大阪ゆうたら野球賭博や。

ワシの浪商時代の友人に、その頃、プロ野球で活躍しとった張本勲がおった。

浪商の後輩には、世界ジュニアバンタム級統一チャンピオンになった渡辺二郎もおった。

 

 悪い知恵働かせば、なんぼでも金儲けできたかもしれん。

けどヤクザやっとって、それだけはしとうなかった。

エエかっこに聞こえるが、これだけがワシのとりえやったんや。

 

ハリが、西宮球場に来た時や。ワシはヤクザやっとるから、絶対球場には行かん思うてた。

けどやっぱりハリの晴れ姿を一目見たい思うて、若い衆連れて球場に行った。

ハリはもう東映フライヤーズの4番打っとる。

一段とたくましゅうなったハリのユニホーム姿、見とってジーンときた。

若い衆にもハリと一緒に野球やっとったゆうんは隠していた。

 

 ところが、ヤジがひどい。ひどいちゅうもんやない。聞くに耐えんヤジが飛ぶ。

アカン。ガマンできん。もう辛抱できん。

そのヤジを飛ばしとるガキは、向かい側の観客スタンドにおる。

 

 ワシ、立ち上がると、向こう側の観客スタンドへ一直線や。

ワシはそのヤジ飛ばしたガキを見つけだして、引きずり回し、

「オンドリャー」 ゆうて蹴り上げ、ド突き倒した。

 

 そうなったらもうスタンドでケンカや。ガチャガチャや。試合が中断するほどや。

ワシ、球場の派出所に連れていかれた。それでも腹の虫はおさまらん。

でも、派出所のお巡りさんもワシの気持ちを理解してくれた。始末書だけで帰してくれた。

ワシはシノギはできないタイプだった。

ただ、ケンカだけは誰にも負けんかった

 

 それ以来、ハリの試合は一度も見に行かんかった。なんか問題起こしたらハリに迷惑かかる。

結局、ハリの試合を実際に見たんはその一度きりや。

 

渡辺二郎もそうやった。後輩ということで、少し面倒見たことがあって慕ってくる。

そりゃ、ええ男やった。ボクシングやる時も相談があった。

「やるからには、世界一になるんや」 とゆうてやった。

 

 これも一度だけ若い衆連れてリングサイドに応援に行ったんや。

そないしたら二郎のヤツ、リングの上からワシに挨拶する。そしたらみなワシの方を見る。

ワシらはどない見たって、本物のヤクザ以外に見えん。

ヤクザもんと二郎の関係が取りザタされたら困るやろう。

 

 結局、渡辺二郎の試合も一度見に行ったきりや。

友達や後輩には迷惑かけられん。

ヤクザもんは自分から友人たちの前から姿を隠すんや。これがワシの半生やった。

 

 

シノギ(仕事)はバクチとケンカ専門

 

ヤクザのシノギ(仕事)ゆうたら、バクチ、シャブ(覚醒剤)、売春、債券取り立て、用心棒、

もめ事の仲介などいろいろあるが、ワシはシャブと女のシノギだけは手ぇ出さんかった。

 

 

ワシは、結局、シノギゆうか金儲けはできんタイプやった。

バクチとケンカ専門や。ケンカだけはだれにも負けん思うていたし、

道具(短銃などの武器)だけはメシ食わんでも最優先で手に入れた。

ホンマモンのチャカ(短銃)が30万から50万円。

一時期は米軍のM16ゆうごつい自動小銃を持っていたこともある。これが300万円やった。

 

 最近のヤクザは、商事会社や不動産会社を経営して、

金融や地上げ、株取引などでごつい金儲けするようになったが、

ワシは時代の波に乗り遅れた極道やった。はっきりゆうてアホやったんや。

 

 月に二度、散髪に行くだけの頭しかないんや。

せやから、金もうけできんからいつも金で苦労した。

 

 ワシの兄貴でこんなことやって金もうけした人がおった。

街の金融屋から金借りる。極道専門の金貸しもいるぐらいやから、その筋のもんとも関係はある。

3000万円、5000万円と借りる。借金やから返さなアカン。期限がくる。

けど、返す金はない。金融屋はその筋の人間に頼んで取り立てに来る。当然や。

 

 そこでワシの兄貴分は、若い者にその辺におるノラ猫やノラ犬を拾うてこさせて

体洗うてきれいにしとく。まあ即席のペットちゅうわけや。

 

 

借金の取り立て屋が来る。兄貴分は、ニコニコ笑うてペットの猫を抱いて応接間に通す。

「何の用事でっしゃろ」 とゆうて猫に頬ずりせんばかりに、「ヨシ、ヨシ」 とかわいがる。

取り立て屋が用件を切り出す直前になって、抱いとる猫の足かなんかを分からんようにつねる。

そないしたら、猫はギャーと鳴いて、持っとる手をひっかく。

そこで血相変えて、「このガキャー!」 と言って、

机の引き出しから22口径のハジキ取り出し猫の口に銃口ねじ込んで、バーンや。

頭が半分飛んでしまう。そ知らぬ顔で若い者に「片づけておけや」 ゆうて、再びニコニコ笑う。

 

 「あっ、えらいすんません。ところで、何の用でっしゃろ」 と取り立て屋に聞く。

たいていの取り立て屋は、用件もいわんと青ざめて帰ってしまう。

ひどい話しや。

その兄貴分の事務所の周辺には、ノラ猫やノラ犬の姿がばったりと見えなくなった。

ヤクザはどんな汚い手でも平気で使う。

 

 極道から足を洗った今でこそ、「ヤクザなんて、ろくなもんじゃない」 といえるが、

そのころのワシは「男になりたい」 そればっかりやった。ほんまにアホやったんやなぁ。

 

 

● 14.アコギなシノギがヤクザの世界

 

 

 ワシはほんまに金儲けのできんヤクザだった。けど、ヤクザゆうたら、とにかく銭なんや。

銭がないことにはどうしようもない。

チンピラ時代は親分や兄貴から小遣いもらうが、いつもピーピーしとった。

 

 そこで、いろんな知恵がつく。

チンポコの毛を全部そってから、銭湯に行く。そして番頭のオッサンにかみつくわけや。

「ここで毛じらみもろうてしもた。こないな格好じゃどこにも行かれん。女にも笑われてしまう」。

体には金太郎さんの入れ墨入っとる。20年ほど前のことやったが、2000〜3000円はくれた。

 

 まあ見舞金ゆうわけや。1軒だけやったらもったいないゆうて近所の銭湯もみな回る。

ええ小遣い銭や。若い者、何人かおるから、そいつらのも全部そらせて、銭湯回りや。

 

それと、パチンコ屋の開店や。

たいていのパチンコ屋は組の事務所の方に挨拶ゆうかショバ代払うんやが、

中には払わんところもある。そないなところは若い者の出番や。

開店と同時に店になだれ込んで、組の名前入ったマッチ箱を置いて歩く。

ほかの人が先に台を取っても、

「オイ、どけや!」

客の方は組の名前知っとるから、

「ヤバイ」

思うて帰ってしまう。これでこの店はたいてい事務所の方に挨拶に来る。

 

 けどこれやったら組の収入になってもワシらに金入らん。そこで暴れる。なんでもええ、

いちゃもんつけて、ちょっと突っぱっとるパチンコ屋の店員が一言でも何かゆうたら、

「何や!」

言うてパチンコ台のガラス全部割るんや。ワシも1度だけ大暴れしたが、これで有名になった。

ワシがどこぞのパチンコ屋に、ちょこっと顔出しただけでも、店長は青ざめて金出しよる。

 

 アコギなもん飲み屋もおんなじや。気にいらん飲み屋があったら、若い者と一緒に開店から入る。

一見してヤクザいう格好して大きな声で、

「兄貴!」 「兄弟!」

 ゆうて堅気の客にガン飛ばし、ニラミ倒す。けど決して手は出さん。カラオケのマイクも独占や。

歌うのはヤクザの歌ばっかりや。こんなん1週間も続ければ十分や。ほかの客は来なくなる。

暴れ回らんでも、飲み屋の1軒や2軒つぶすのはわけはない。

 

こんなのはシノギ(仕事)ゆうより、人間のクズのやることや。

けど、ヤクザやっとると感覚がマヒする。セコイ話しや。

 

 セコイゆうたらこんなセコイこともやった。腹減って、食堂行ってカレーライス注文する。

八分ぐらい食うてからポケットに忍ばせとるゴキブリ放り込む。

店のオヤジは「すいません」ゆうてもう一杯、新しいカレーライス持ってくる。

1杯分の値段で2杯食える。ヤクザゆうて肩いからせとっても、しょせんこの程度なんや。

 

 

ヤクザでも大事です新人教育

 

ヤクザやってて、一番、大事なのが新人教育や。

10代半ばでワシらんとこへ来て、ヤクザなりたいいうんは、ハンパなヤツが多い。

芸能人に憧れて、芸能界に入りたいゆうのと五十歩百歩や。それ以上かもわからん。

 

 ヤクザになると、車に金、女にも不自由せん。

それどころか、ごっつう金儲けできて、大きい顔して、肩で風切って街歩ける。

そんな憧れでこの世界に足踏み入れるヤツばっかりや。

 

 少年院帰りもザラや。色気だけはついとるが、字も満足に書けん、掛け算の九九もいえん。

けど悪知恵だけはついとる。学校も仕事も、こらえ性がのうてやめてしもた連中や。

こういう連中が、100人おったとして、まっとうな極道になれるのは二、三人や。

ヤクザゆうのは厳しい世界なんや。

 

 

ワシは新人の教育が厳しいんで有名やった。たいていの連中はついてこれん。

けどワシんとこで修行積んだモンはみな一人前になっとる。

 

 最初は電話番や。けど、これが難しい。

一般の会社でもそうやろけど、電話の応対でその会社や組の実力ゆうか内容が分かるんや。

電話のベルは1回や。ベルが2回以上鳴ってから出るようなトロイのは受話器で頭をぶん殴る。

そして、腹の底から、「山本組!」という。

トチったり声が小さいと、灰皿で頭割られたり、ド突き倒される。

 

 口べたな人間でも、便所や風呂場の中で一生懸命練習や。

寝言では、ようしゃべれるのに、いざ受話器を持ったらゆえん。不思議なこっちゃ。

そやけど、しまいには石の地蔵さんさえしゃべらすぐらいになる。

 

 「失礼ですが、どちらさんですか」と聞く。聞いたら繰り返すんや。

「○○組の○○さんですね」そないゆうて親分や兄貴たちの様子見る。

なかには電話で話したくない人間もいる。様子見て、

「少々、お待ちください」ゆうか、

「ただいま不在ですが、もしよろしければ用件を伺いますが」

のどっちのセリフゆうか判断するんや。

 

事務所の掃除、使い、たばこの火つけ、お客さんの送り迎え。話すときは、全部直立不動の姿勢や。

給料なんかあらへん。事務所に寝泊まりして、飯は兄貴たちに食わしてもらう。

たまに小遣いもらうだけや。

 

 この小遣いもろうて、酒と女とバクチに使うてしまう者が多いが、

もろうた小遣いためて、いざちゅうときのために道具(短銃などの武器)を買うもんもいる。

こういうのが出世する。

 

 最近は、礼儀作法や口のきき方を知らん若い者が増えたが、そんなんは教育する方が悪いんや。

教育ちゅうのはド突き倒そうが、頭カチ割ろうが、徹底せなアカン。

こうして体で覚えたことが結局、最後には本人の財産になるんや。

 

 こないゆうたら笑われるかもしれんが、ほんまもんのヤクザになれる人間はほんの一握りや。

ほんまもんのヤクザになれる人間は、どこの社会に出ても一人前になれる。

 

 ハンパモンにはヤクザは向いとらん。矛盾しとるようだが、これも現実や。

 

 

 

 

●15.「人にモノ教えんのに限度はないんや」

 

 

 新人教育で一番難しいのがヤクザ社会とちゃうやろか。礼儀作法を覚えたけりゃ、

しっかりしたヤクザの事務所で1年勤めたらええ。そない思うぐらいや。

 

 ワシも厳しく新人教育した方やが、ホンマゆうたら失敗だらけなんや。

事務所のカネを持ち逃げされたことは何回もある。

ワシが見込んで、スーツや靴から車まで買うてやって、「マンション借りや」ゆうて敷金渡したら、

翌日から事務所に出て来んようになった者もいる。

けど、ヤクザが「持ち逃げされました」なんて警察に届けるわけにはいかん。

ヤクザも泣き寝入りすることがあるんや。

 

 冬の寒い時やった。少年院帰りの新入りが不始末をやりよった。

もちろんド突き倒すが、何辺ド突いても手癖の悪いヤツはどうにもならん。

盗人とウソをつくことは絶対に許せん。

 

 ワシ、そいつを素っ裸にし、針金でグルグル巻きにして、水風呂につけておいた。

用事ができて出掛けることになった。風呂場のヤツ、どないするか迷ったが、

「まあええ、ほっとけ」てなもんや。

ワシがいない時に兄弟分がやってきた。風呂場をのぞいたら、

そいつは血の気が全然なくて全身が紫色になってたそうや。

 

 

兄弟分は「殺してしもうたら、どないするつもりや。何でも限度ちゅうもんがあるやろ」

とワシを諭す。

けどワシはこう答えた。

「なんぼゆうてもきかんガキや。人にモノ教えんのに限度はないんや。それで死んでしもうたら、

それだけの人間ちゅうことや。後始末はワシが全部引き受けたらええんや」

兄弟分は、あきれていた。

 

 ヤクザの事務所には、いろんな嫌がらせ電話も入ってくる。

「おんどりゃ、これからカチコミ(殴り込み)に行ったる。覚悟して待っとれや!」

なんて電話もようかかってくる。

こんな電話を取るのも新入りや。そないな電話あったら、慌てずにこない言えゆうてある。

「オォ、上等や。玄関開けて待っとるから、ちゃんと道間違えんと来いや!」

 

 売り言葉に買い言葉や。けど、新入りはビビッてしまう。

ドスを利かせて、これをきっちり言えるようになったら一人前や。

 

 ある時、こないな電話があって、電話はきっちり対応したらしい。

本人はうまくいったゆうて満足や。けど、ワシらへの報告を忘れてしもうた。

イタズラ電話はいちいち報告せんでもええのやが、

相手が組の名前と個人名をハッキリ名乗った時は報告するのが決まりになっとる。

 

しばらくしたら、ほんまに殴り込みに来て、ハジキ(短銃)5〜6発撃ち込まれてしもうた。

突然、事務所ん中に弾が飛び込んできたのにはワシもビックリした。

ヤクザ社会でも、一般に会社でも、ホンマに新人教育は難しいもんやで。

 

 

●16.小さいながらも、一軒家を持つ

 

 

ワシが組長になったんは33歳の時やった。諏訪組系淡路会内山本組を結成したんや。

直参の若い衆が7人おった。小さいながらも、とうとう一家を持った。

諏訪組本家の承諾をもらって、淡路会の会長さんの名で、山本組結成書状披露もやってもろうた。

 

 ワシも一応、親分になったとはいえ、ワシの親分は淡路会の大西敏夫会長や。

淡路会の若頭という立場は変わらん。違うのは直参の若い衆を持ったゆうこっちゃ。

そうはいっても、親分は親分や。今まで、「兄貴、兄貴」とゆうてきた連中が、

ワシを、「親分」と呼ぶようになる。

ヤクザやるんやったら自分の組を持たなアカン思うてたから、そら、うれしかったでぇ。

 

 ところが、組持ったゆうてもワシはケンカは得意で上手やが、シノギ(金儲け)はようでけん。

だから、事務所を構える金もない。

それで、どないしたかいうと、京都にあるワシの自宅に若い衆と一緒に暮らし始めたんや。

自宅ゆうても二間しかないアパートや。

しかも女房と娘二人もおったから、全部で11人が狭いアパートでひしめくことになった。

 

けど、ヤクザは世間体が大事や。大阪に出るときは、いくら金がなくても電車で行くわけにはいかん。

ヤクザらしくマーキュリークーガーゆうアメ車を乗り回しとった。

もちろん、若い衆に運転させて、親分の風格を見せにゃならん。

 

 車はアメ車でも、京都に帰れば、台所は火の車や。ほんま三度の食事にも困ったぐらいや。

しゃあないから、夜中に若い者に畑へ行かせる。白菜とか大根を盗ませるんや。

白菜は塩振って漬け物や。大根は大根おろしにする。ドンブリいっぱいの大根おろしに、

今ならネコも食わんようなカツオブシを振り掛けたんがオカズや。

 

 米かて、オカユにする。オカユにすれば、少ない米でも腹いっぱいになる。

シノギのヘタなヤクザは、こないしてシノいだんや。ほんまに貧乏した。

 

 車のガソリン入れるにも百円玉3個握って

「これだけ入れてや」ゆうてガソリンスタンドに行ったこともある。

ごっついアメ車も、たった300円分のガソリンで走ってるなんて、堅気の人も気がつかんやろう。

 

 夜はもっとみじめや。娘二人は押入にいれて、若い衆は3組の布団に7人が雑魚寝や。

ワシと女房は隣の部屋に寝るんやが、残りの布団は一つしかない。

女房の口にタオルを入れて声出さんようにして、夫婦の営みをしたこともある。

 

 

そんなこんなで、山本組を結成したかて貧乏のドン底や。

けど、ワシんとこの若い衆は根性の入った連中ばかりやった。

こんな生活にも一言も泣き言わんと付いてきてくれよった。

こういう時や、人の情けが身にしみるんは。

 

 

ヤクザもんの『一杯の夜なきうどん』

 

 組を結成できたのはいいが、自前の事務所も持てん。

ワシの家の京都の二間のアパートで直参の若い衆7人、

それと、女房に娘二人が一緒に寝泊まりする、みじめな生活やった。

 

三度の食事にも困ったが、ヤクザの親分ゆうたら見栄張らなならん。

 兄貴分が心配してあれこれとシノギ(金儲け)を教えてくれるが、

ほんまにワシはシノギはアカンかった。

 

 サラ金ブームの頃や。金融屋やったら儲かるいわれ、兄貴分が資金を1000万円ほど融通してくれた。

小さな事務所借りてサラ金を始め、若い衆も一夜漬けで金融のイロハを勉強した。

最初はまあ良かった。問題はコゲつきや。

 

ヤクザなんやから、病人の布団はいででも取り立てせなアカンのやが、ワシは逆や。

正直いえば、ヤクザのもぐり金融に金借りにくるいう人は、すでにあっちこっちのサラ金から借りて

ニッチもサッチもいかなくなった人か一癖も二癖もある札付きや。

 

 取り立てに言ってみると、四畳半一間のアパートにカアちゃんと乳飲み子がいる。

オヤジがギャンブル狂いで、おちこちのサラ金から金借りまくっとる。

 

 ヤクザのやる取り立てゆうたら、ちょっと若いカアちゃんなら、ソープランドに沈める。

やや年いっとるカアちゃんならウリ専門のピンサロに売り飛ばす。

こないして借金を回収するんやが、ワシはアカンかった。

 

 幼い乳飲み子抱えて、カアちゃんがひたすら謝る。

見ると、部屋ん中には綿のはみ出した布団とちゃぶ台ひとつ。テレビも冷蔵庫もない。

ミルク代にも不自由しとる様子や。ワシ、こういうの弱いんや。

 

 若い者に借用書取り出させ、その場で破り捨てて、

「もうええ。それより、その赤子、ちゃんと育てや」

そうゆうて、ワシの財布からいくらか金取り出して置いて帰った。

 

 あとで聞いたら、そのカアちゃんも札付きの悪やゆう話や。

いつもそうやってヤクザもんの同情買うて、

借金踏み倒している常習犯やゆうやないか。情けない話や。

 

そんなエエカッコしておきながら、

自分の娘には満足においしいもん食わせられん。落ち目のどん底や。

ある夜、娘が腹減ったゆうて泣きよる。ワシ、娘二人抱えて、夜なきうどんを食わしに行った。

子供は親が落ち目でも知らんわな。銭は一杯分しかない。うどん一杯を娘二人に食わせる。

 

いつもやと二人で一杯のうどんを食えば、それで満足するのにその夜に限って、

親の懐具合も考えんともっと食いたいと言いよる。

そん時、ワシはポケットの中の100円玉1個握って、冷や汗かいとった。

 

 そないしたら、その夜なきうどんの屋台のおっさんがどういう風に見たんか知らんが、

黙って、そば2杯つくって、

「カワイイお嬢ちゃんやな。今日はおっちゃんのおごりや。腹一杯食べてや」

よう見るとそのおっさんの小指がない。多分、昔ヤクザやってたんやろ。

ヤクザやってた人間やないと、こういう情のかけ方はできん。

 

 ワシ、黙ってお辞儀しただけや。

うれしいゆうか、むなしいゆうか急に涙がこみあげてくる。

身の置きどころがないゆうのはこういうことをゆうんやろう。

これこそ、ヤクザもんの「1杯の夜なきうどん」いうわけや。

 

 

 

●17.賭博の旗揚げで儲ける

 

 

貧乏やったが、ともあれ山本組は旗揚げした。けど、いつも金がのうてピーピーしていた。

そないしているうちに、ワシのスポンサーゆうか、ファンゆうかダンナさんゆうか、

まあゆうたら会社の社長とか金持ちの人が2、3人できて、ワシ、ずいぶんカワイがられた。

 

 その社長の1人が、バクチしいや言う。家も貸金も貸してもろうて、賭場を週2回開いた。

博徒の旗揚げや。バクチは手本引き、サイ本引きや。週に2回で、月に8回や。

そのうち2回は親分のため、もう2回は組と兄貴のために賭場を開いた。これは儲かった。

 

 一晩でテラ銭が500万円ぐらい入ってくる。親分や兄貴分にも顔が立った。

ところがワシはダメなんや。おとなしく賭場開いて、若い者にまかせ、

テラ銭の計算しとりゃいいんやが、銭入ると自分でバクチ打つ、毎晩クラブをはしごする。

 

 あるだけの現金持って、大阪のクラブに行く。女の子なんか不細工な子でも、みな来い来いと呼ぶ。

お客さんの中にも気に入った人がおったら、ボトル1本つけてやる。

 

ヤクザゆうのは、やっぱり男を売る商売だから豪快にいかにゃならん。

銭なんか、100万でも200万でもあるだけ全部使うてしまわな気いすまん。

 

 賭場開くようになって、大阪に事務所持てるようになった。

金庫に何百万円とか何千万円とか現金が入っている。

そないしたら夜中、眠れんのや。金庫の中に入っている札束が、

「ゼニ使え、ゼニ使え」とやかましく騒ぎよる。

 

 これ、ほんまでっせ。今日は、百万長者、日がかわったら無一文ゆうこともしょっちゅうあった。

けどワシは、金があっても無くともちいとも気にせん。

金がなかったら事務所から一歩も外に出ん。ただそれだけや。

 

 けど、ワシらはやっぱしケンカ屋や。万が一の時に銭がのうて動けんのじゃ格好つかん。

それでベンツやリンカーンゆう高級外車をバーンと現金で買うとくんや。

そないしていざゆうたら、真夜中であろうとかまわん、車金融やっとるヤツ叩き起こして、

1週間前に1000万円で買うたベンツを300万円ぐらいで叩き売る。

 

 こないやっとるから、ワシんとこにはアメ車であれ欧州車であれ、

高級外車がいつも2、3台転がっておった。

 

 

けど、バクチゆうのは、ホンマに恐ろしいもんや。

ワシ、自分とこで賭場開くだけにしとけばよかったが、自分でもバクチするようになった。

しかも野球トバクや。

 

 

これが野球トバクの仕組み

 

大阪は野球トバクが一番盛んや。

ワシは元高校球児で、しかも智辯学園の初代野球部監督までやっとる

 

 プロ野球選手になったろう思うて、「死にもの狂い」で練習したこともあった。

だから野球トバクに手ぇ出すのはあんまりいい気はしなかった。

 

 けど、組構えて若い者も増える。金もたくさんいるようになる。

しかもワシは他のシノギ(金儲け)は全くダメや。バクチしかない。

 

 この野球トバクも胴元だけやっとればほんまに儲かる一方だが、ワシは自分でも張ってしまう。

プロ野球の場合、全試合があるとしたら、セ・リーグが3試合、パ・リーグが3試合の6試合がある。

例えばセ・リーグの1試合が巨人対阪神とするやろう。

先発ピッチャーとかチームの状態見てハンデ師が、ハンデつけるわけや。

 

仮に、阪神1.0のハンデが出るとする。試合は1対1で引き分けや、

そないすると巨人に張ったもんが勝ちや。

10万円張った人は、テラ銭の1割取られて9万円儲けゆうこっちゃ。阪神に張った人は負けや。

 

胴元は勝とうと負けようと1割のテラ銭を取る。これが野球トバクの仕組みや。

 

 これがとんでもないほど面白い。なんせプロ野球ゆうたらシーズン中はほぼ毎日ある。

いつもいつも先発ピッチャーが分かるわけじゃない。

ハンデ師ゆうのがそれこそ地獄耳で、スポーツ新聞や、週刊誌でさえ知らんような情報握っとる。

 

 けど、このハンデ師の読みが大ハズレする時もある。

片方に1本かぶりしてえらいめにあうこともある。そうなっったら、胴元が破産してしまうのや。

だから、500万円とか1000万円ゆう大きい金張ってくる客がいる時は、

胴元同士でまわし合う。つまり危険分散ゆうわけや。

 

 ワシは野球には自身があった。ハンデ見て、ピーンときたら、

胴元回しの受け金なんぼでも受けた。金がなくても受けた。

 

しかも、自分でも1000万円、2000万円と張る。一晩で5000万円ぐらい儲かるなんてザラや。

ところがワシが儲けても、胴元回しの受け金でドッサリ取られてしまうこともある。その逆もある。

そないして儲かったゆうては、クラブで大散財する。こんな事やっとれば、人間、バチも当たるやろう。

案の定、ワシはバクチで大ヤケドしてしもうたんや。

 

 

●18.バクチの後始末で小指を詰める

 

ワシ、小指が2本ないんやが、実は、バクチの後始末で指詰めたんや。

その頃、本家の諏訪組と四国のある組織が、政治兄弟いうか、

同盟みたいなもんやが縁を組むことになった。

 

そういう時は諏訪組のだれかと、相手の組織のだれかが兄弟盃交わす。

それで、ワシの親分の淡路会の会長が、兄弟盃の相手に選ばれたいうわけや。

 

ワシの親分の兄弟ゆうたらワシのオジキになる。ワシもこのオジキには特に大事にしてもろうた。

そないしたら、オジキが「どんなシノギやっとる」とワシに聞いてくれた。

「野球やってまんねん」ゆうたら、「そうか、うちの客もやる」とゆうて大口の客を紹介してくれた。

 

四国からやから銀行振り込みや。銭ボンボン振り込んでくる。

ワシも勝ち金はしっかり払い込んでおった。

そないしておったら、ウチンとこの若い衆が、その金を持ち逃げしてしもうた。

 

3000万円はあったんとちゃうか。

しかも、そん時、運の悪いことに、四国の客がガッポリ勝ちよった。

金を持ち逃げした若い衆も負ける計算してへんのや。親も親なら子も子や。

 

 

どない段取りしても、勝ち金が払い込めん。運悪く、翌日は土曜日やった。

土曜やから午前中までに払わんと義理欠くことになる。

ワシは懸命になって金策したが、そないすぐ何千万円もの現金あらへん。

 

バクチの金は、少し遅れても払ったからって済むもんやない。

カラスがカー、スズメがチュンが決まりや。

つまり、宵に勝ったバクチの金は、朝、一番に届けなならんちゅうことや。

 

このままやったら、四国の客に不義理するし、それ以上にオジキや親分のメンツ丸つぶれや。

金持ち逃げしたもん探す余裕もない。そないしてたらタイムリミット(銀行閉店)。や

 

 ヨシッ!ワシが腹くくるしかない。今、思うと事情を親分や四国のオジキに話したら、

わけなく許してもらえたろうが、ワシの性格がそれを許せん。

 

 そん時の精一杯の結論は、「身を捨てて浮かぶ瀬もあれ」というこっちゃ。

 

 ヘタ打って指切るのも、切った指で生かすこともある。

逃げたもんは後でつかまえてケジメ取ったらええ。

そないゆうても、やっぱり指切るときは、ドキドキした。それまで人の指切ったことはあったが、

自分のは初めてや。

 

映画なんかじゃ、指切る作法みたいなもんがある様に思われているが、そんなええ格好ちゃう。

「オイ!台所から、まな板持ってこい!」

「大工の使うノミ買うてこい」とこんなもんですわ。

 

 

医者にも行かず四国へ飛ぶ

 

若い者に台所のまな板と大工の使うノミを用意させた。

小指に、「あんじょう成仏してくれ」

と心の中でつぶやいて、ちょっと口に含んで、湿り気をつけて、まな板の上にきっちりのっけた。

 

小指の第一関節にノミの刃をあてて、金ズチ持った若い者に、

「ヨシ、いったれ!遠慮せんと、目いっぱいひっぱたくんや」と腹の底から声を出した。

大きい声を出すんは、気合い入れるためや。けど、瞬間は目ぇつぶったんとちゃうか。

 

 そないしたら、小指が、ピューッと飛びよった。これが親分の分や。

ところが、飛んだ指が見つからない。どこへ行ったか分からへん。

 

「コラッ!痛いのに探さんかい!」

若い者に探しださせて、白いハンカチに包んで、もう一方の手の小指を出して、

「オイッ、次はこっちや」若い者はびっくりして、

「もうこっちだけは、やめといておくんなはれ」ゆうんですわ。

「エエイッ、切れ!こっちは四国のオジキの分や!」

こうと決めたら止められん。はんまに、ワシはアホな性格しとる。

 

ところが、もう一方の小指は切っても、飛ばへんのや。

片一方は勢いよく飛んだが、同時にもう一本切ったら、それは飛ばへん。

人間の体ちゅうのは不思議なもんや。これは指切ったもんでないと分からん。

 

 痛いゆうが、痛いのなんて分からん。輪ゴム巻いて、止血して、包帯巻いたが、カッカッとうずく。

医者に行くのはカッコ悪い。若い者に痛み止め買いに行かせて、このまま四国へすぐ行くことにした。

若い者に飛行機の予約入れさせておいて、ワシはまず親分のとこへ先に行った。

 

 親分は、「なんやッ」とそれはびっくりしとった。

「親分、バクチの金を若い者に持ち逃げされて、四国のお客さんに払えなくなったんですわ。

えらい不細工なことで済んまへん」

そないしたら、親分、涙ポロポロ出して、泣きよるんじゃ。

 

「何でそんなことオレに言わへんのじゃ」ワシはワシで考えがあった。

金を持ち逃げしたガキら、捕まえて死ぬほどブチのめしたると。

 

「親分、ヘタ打ちました。とにかく四国へ先に行ってきまっさ。

親分の顔つぶさんようにちゃんと話してきまっさかい、辛抱しておくんなはれ」とそない言った。

親分は泣きながら、「バクチの金やったらオレが儲けた金がある。その金持っていけ」

と言ってくれた。

「そういうわけにはいきません」

「分かった。それでええ」親分の顔は、涙でグチャグチャやった。

 

それで若い者一人連れて、四国へすぐに飛行機で行った。

手を心臓より下にしたら、うずいてしようがない。

両の手胸より上にかかげて、飛行機に乗ったら、みな見よる。みっともない話しや。

 

 

●19.親分に習って若い者も指詰め

 

 

 小指を2本詰め、1本は親分のところに持っていった。

もう1本を義理を欠いた四国のオジキに届けるために飛行機に乗った。

医者なんか行ってる間はない。指詰めたその日のうちに若い者連れて四国へ向かった。

 

 オジキのとこに行って、

「オジキ、誠に申し訳ありません。野球の金のことで詫び入れにきましたんや。

ヘタ打ったお詫びに指持ってきました。納めてください」

と謝り、白いハンカチに包んだ指を差しだした。

 

 うちんとこの若い者に、金持ち逃げされたなんて、恥ずかしゅうてよう言えない。

そのオジキもいい人やった。

「なんで指なんか詰めたんや。電話一本して、少し金の払いが遅れると言えば済んだやないか」

と言ってくれ、親分以上に同情してくれた。

 

 ワシ、そん時、500万円ぐらい持っていって、

「足らんけど、とりあえず納めてください。大阪に帰ったら、足らん分すぐ送りますから」

と頭を下げた。

確か、2000万円ぐらい足らんかったと違うかなぁ。

 

 

オジキは、

「そんなもん、いらん。これはオレからの慰謝料や。客に払う金のことももう忘れろ。

ワシがちゃんとする。オレが兄弟分の若い衆の指もろうたゆうたら、あしたから極道やめないかん。

山本も極道しとったら分かるやろう。その指だけは受け取れん」とゆう。

 

 けど、ワシもせっかく切った指を持って帰るわけにはいかん。

「お願いですから、受け取ってください」

「いや、受け取れん」

とワシの指を間に押し問答や。結局、オジキの兄弟分が中にはいってくれた。

「兄弟も受け取ったらカッコつかんし、頭も死に指になってしまうがな。

ここはひとつワシが預かっておこう」と指を納めてくれた。

 

 その夜は、オジキにごっつい料亭に連れていってもろうたが、

目の前に並ぶ高価なマツタケやら伊勢エビも味わっとる余裕なんかない。

ただ座っとるだけで、詰めた小指の痛みがバーン、バーンと頭のシンまで突き上げてくる。

指詰めてからもう8時間ぐらいたっとる。痛みで他人の顔はふわふわとかすんで見えんようになる。

額から脂汗が出る。何を話しとるのか分からへん。

 

 そん時、オジキの若い衆が、

「頭、医者に行ったんですか?」

と聞いてくれた。ぼんやりとした目で、その人を見ると指がない。

やっぱり同じ経験をした人は気が付いてくれるんやなぁ。

 

「まだです」と正直に答えると、

「なんちゅうやっちゃ、医者にも行かんと四国まで来たんか」

と大急ぎで医者に連れていってもらった。医者もびっくりしとった。

 

 これでワシもなかなかの男と認めてもろうたが、大阪に帰って驚いた。

空港に迎えに来たうちの若い者がみんな手に包帯をしとるやないか。

「どうしたんや?」と聞くと、

「親分が指詰めて、若い者の私たちにちゃんと指があるんじゃカッコつきませんがな」と言う。

 

 その場にいた若い者は12人。それにワシの指2本も合わせて14本の指がなくなってしもうた。

指詰めたかて、いいことなんか何もあらへん。

けど、若い衆は、どんなつまらんことでも親分の行動を美化する。

ワシはそん時、「人の上に立つ者は、判断だけは絶対に間違うてはアカン」とつくづく思うたんや。

 

 

指切り騒動始末記

 

 小指2本切って、なんとか始末はついた。けど、

金を持ち逃げしたガキ二人を捕まえんことには腹が収まらん。

 

 

人探しゆうたら、ヤクザの組織ゆうか、捜査網は半端やないで。全国に電話1本で手配できる。

警察にも負けんぐらいや。

尋ね人がよく新聞に出とるが、あんなもん探すの組関係者やったら一発や。

ヤクザもんも、そのくらいは世の中の役に立ってもいいと思うが、

ワシんとこも金持ち逃げした1人の行き先はすぐに分かった。奈良に隠れとるゆう。

ワシは指がまだズキズキしとったが、マーキュリークーガーゆうアメ車、運転して探し倒したんや。

 

 ところが、そのガキもワシの性格はよう知っとるさかい、逃げ切れんと思うたらしく、

“死のう”と決心したようや。けど、死にきれん。

悩んで悩んで悩み倒して、ワシの親分のとこへ電話してきた。

 

 「ほんまにアホなことしてしまいました。指でも腕でも切りますさかい、

命だけは助けてください。頭に謝って下さい。」

こうゆうて泣きついたらしい。

 

 親分も絶対にワシが許さんことをよう知っとる。

けど、親分は、人がええゆうか、

そない言われて、さすがにワシが惚れた親分だけあって、情けを飲んだらしい。

 

 「よし、オレんとこに帰ってこい。頭にはオレが責任もって口きいてやる」

とそのガキに言ったらしいんや。ワシはそんなこと知らんから、血相変えて探し回っとった。

そないしたら、親分からワシに電話が入ってきて、

「アイツら許したれ」とゆう。

 

 

「親分が許したれゆうたかて、今度ばかりは、なんぼ親分のことでも辛抱できまへん」

とワシ、初めて、親分に口答えしてしもうた。

「なにイッ、オレの言うことを聞けんのか!」

親分は猛然と怒り出した。そりゃそうや、どないな事情があるにせよ、親に逆らったんやから当然や。

 

 けどワシも言い出した手前、引っ込みがつかん。

「いくら親分の言うことでも、聞けることと聞けんことがありまんがな」

もうこないなったら、指は痛いし、やけくそや。

 

 親分の怒声が続いた。

「ワレ、親の言うこと聞かんのか!聞かんのやったら破門じゃ!」

「おう、上等じゃい!」ゆうてワシ、電話を叩き切ったんや。

ワシんとこの若い者のことは、ワシがけじめつける。たとえ親分かて、口出し無用や。

 

 いったんはカッとなったが、ワシの兄貴が間に入ってくれた。

そこで、金持ち逃げしたガキ2人が親分に泣きついたことがやっと分かった。

親分はワシにそんなことは一言も言わん。

親分はワシのことよりアイツら2人の方がかわいいんかと思うてたんや。

 

親分の家に行ったら、憎たらしいことに探し回っとったガキ2人が正座しておった。

ワシはカーッとなってド頭カチ割ったろうと思うたが、辛抱した。

そりゃ辛い辛抱や。正面にはそいつらの小指2本が揃えられてあった。

 

 子分たちも指詰めて、ワシの指切り騒動は幕を引いた。

ヤクザいうのはほんまに因果な商売や。

 

 

●20.金はなくともハジキは揃えた

 

 

 ワシはどんなに金がなくても、メシ食うのさしおいても道具だけはきっちりと揃えた。

ヤクザいうのは、商売でどんなに稼いでも、いざちゅう時にケンカできんようじゃアカン。

ケンカゆうたら道具の良しあしと、日ごろからの心がけで決まる。勝ってなんぼの極道社会や。

 

 道具いうのは、ハジキ(拳銃)のことや。

S&Wの38口径、ブローニングの22口径、コルトの米軍使用の45口径ゆうゴツイのもあった。

こんなもん全部、ほんもんの前のないハジキばっかりや。

一時、モデルガンの改造銃もはやったが、あんなもんじゃ危のうてケンカにならん。

下手に撃つと自分の手ぇぶっ飛ばしてしまう。

 

 前のないハジキゆうのは、一度も使ったことのない銃のこっちゃ。

ハジキの弾いうのは、一度ぶっ放すとその弾に、銃痕ゆう、人間でゆうたら指紋とおんなじもんがついてしまう。

だから一度でも犯罪で使われた銃は記録されてしまい、すぐにどこで使用された銃かが分かってしまう。

これじゃあ安心して使えん。こういう前のない銃でないとほんまもんといえん。

 

ワシはいつも22口径のサイレンサー付きのハジキを肌身離さず持っておった。

寝る時はいつも枕の下や。なんで22口径かゆうたら、小さくて隠しやすい。

45口径ゆうたらそりゃゴツイし、人間なんか一発でいってしまうが、デカすぎるんや。

 

 一度、ホテルに泊まって、チェックアウトしたあとに、ハジキをベットに置き忘れてしもうて大騒ぎしたこともある。

もちろんハジキゆうのは日本じゃ持ってはいかんことになっとる。

テレビの刑事物や、ハードボイルド小説ゆうんか、あん中じゃハジキの話がよく出てくるが、

あんなもんウソばっかりや。

あんなボンボン撃てるもんでもないし、あんな簡単に人を殺せるもんでもない。

その証拠に、撃った人は分かると思うが、どだい当たらんもんじゃ。

夜店の射的じゃあるまいし、あないにうまく当たらん。

 

 けど、いくらハジキ揃えても練習せなならん。

それでワシらは、地理の知った奈良の山奥に入って、何度も何度も練習したもんや。

動いとるモノを撃つ練習いうんで、

高速道路に車を走らせてそこから標識なんかを狙い撃ちする事をやったこともある。

それでも当たらん。

当たらんと思うて撃ったのが当たったり、脅そうと思うて撃ったのが命中して殺してしまう。

それが現実や。

武闘派いうが、本心は怖いからハジキ持つんや。

 

 

ほんまいうと、一時期はM16いうゴツイ自動小銃も持っておった。

けど、幸いゆうか、これは一度も使わんで済んだ。

その後で、あの元山口組系の組とコトを構えたが、もしあん時、

ワシがM16ぶっ放していたら、生きておれんかったやろう。

 

 道具いうのは、もろ刃の剣なんや。人を殺るいうのは、同時に自分も殺るいうこっちゃ。

これらの道具はその後の抗争事件で全部没収されてしもうた。

 

 ケンカいうのは度胸や道具の良しあしばかりじゃない。まず死を覚悟することや。

そないしたらどんなヤツともケンカできる。捨て身の人間ほど怖いもんはない。

ほんまにとんでもない世界や、ヤクザ社会いうのは。

 

 

頭のてっぺんに今でも残るハジキの傷

 

ハジキゆうたら、ワシが初めて鉄砲撃ったのは小学校4年の時や。

奈良の田舎町で柴犬を2匹飼っていた。その中のジローちゅう犬をかわいがっておった。

ほんまに寝食をともにするぐらいや。

毎朝、学校へ行く前に散歩に連れて行ったり、一生懸命世話しとった。

 

 近くに建設現場ができた。100人ぐらい働くデカイ飯場ができた。

そこに、これまたゴツイ、土佐犬がおった。

 

 

ある日、ワシんとこのジローが、この土佐犬とケンカしてカミ殺されてしもうた。

実はオヤジが趣味で猟をしておった。ワシ、悔しうて悔しうて、

親父の持っとったブローニングの水平5連発ゆう猟銃を持ち出して、仕返しに行ったんや。

 

 その土佐犬の頭めがけて、オヤジの猟銃を一発ぶっ放した。そりゃ頭飛んでもうた。

うまく当たったのはええが、なにしろ小学校4年生の体や。

銃の反動で後ろにぶっ飛ばされ、頭や胸を強打して全治2週間のケガで入院してしもうた。

そりゃ、田舎町やから大騒ぎになった。

 

 これがワシが最初に銃撃った時の話や。そして最初にお巡りさんに調書取られたのもこん時や。

こんなガキやからヤクザもんになってしもいたんかもしれん。とんでもないガキやったんやなあ。

 

 ハジキゆうたら、危うく頭ぶっ飛ばされそうになった時もあった。

ワシの兄貴分が賭場開いておった。そこえ、ある組の者がイカサマやっとるとアヤつけてきた。

これを飲んだら信用問題や。ワシと兄貴分と若い衆二人ほどで、その話を受けた。

兄貴のとこの応接間に座って待っておった。

 

そないしたら相手が3人、土足のままであがってきた。

「おのれのところ、イカサマさらしとるんやろう!」

兄貴が答える。

「何をぬかしとるんや!」

ワシも出遅れてなるものかと、口をはさんだ。

「あんたらなんじゃい。

人様の家に土足であがって、どういうこっちゃ!生きて帰れると思うてんのかい」

「なんじゃ、おんどれは誰じゃい」

「作法を知らん人間に何を名乗ることあるかい」

「なんや!」

というなり相手は38口径のハジキ出しよった。相手もいい玉や。けどワシかて負けておれん。

ワシはそいつのハジキをつかみにいった。ハジキぐらいでびびったらヤクザやっとれん。

そないしたら相手も勝手が違うと思うたのか、慌てたのか引き金をひきよった。

「バーン!」

銃声がワシの頭の芯に轟いた。

「なんや、おんどれ!」

応接セットのサイドボードのガラスの弾が命中した。えらい音がしよる。

一瞬、頭に焼け火バチでも叩きつけられたような衝撃が走った。

「こりゃ、頭いてもうたわ」と思いましたがな。

 

 けど、まだワシ息しとる。

それで相手のハジキ取り上げて窓の外にほうり出し、近くにあった灰皿を叩きつけてやった。

頭、血だらけになりながら、相手の3人半殺しにしてやった。

けど、ハジキの弾ほんまに、あと1センチ下がっていたら、ワシの頭ぶっ飛んでしもうていた。

 

 

今でも、頭のてっぺんには、こん時の傷が残っている。治っても、毛が生えてこない。

知らん人には、「ネズミが走った跡や」と言っとる。

 

 けど、ほんまはハジキの弾がかすったんや。ハジキゆうのは、ほんまに怖いもんや。

けど、あん時、ワシがびびったら、確実に殺られてしもうていたやろう。

 

 

●21.ドイツ人と通訳通して追い込み

 

 

これは東京で警視庁にパクられた時の話や。

ワシの知り合いの材木屋やっとるおっさんが、ドイツ人から木材を輸入した。

注文したのは最上級のAランクの品物やったが、日本に届いたのはCランクの物やった。

 

 金はもう支払ってある。2億円ぐらいの損や。

クレームはつけたらしいが、そのドイツ人も、ヤクザまがいゆうか、マフィアまがいゆうか、

すんなりと認めんらしい。

 

 しかも、いつも5〜6人のボディーガードつけて、

なんでもそいつらはハジキ(短銃)も持ってるらしいゆう噂や。

 

 商売人同士のトラブルなら商売人同士でケリつけてもらうのが筋やが、

どうもそのドイツ人は堅気とは思えん。

外国のマフィアかなんか知らんが、そんなもん日本で大きな顔されたら、ワシら日本の極道の恥や。

 

 ワシはすぐにハジキ持って東京へ向かい、そのドイツ人が泊まっているホテルへ行った。

話するゆうても相手はドイツ語や。通訳入れてドイツ語で「追い込み」や。

外人相手に外国語で追い込むのは初めてやが、

日本語もまともに分からんワシが通訳介して外人を追い込むのは後にも先にもこれが初めてや。

 

ところがそのドイツ人もワシらの素性を感じたのか、金渡すから手ぇ引いてくれゆう。

ドルでいいよった。ドルがなんぼのもんかワシにはわからんが、日本円にすると2000万円ぐらいや。

 

 「何ぬかしよる、このガキ!」

この大阪弁を通訳に言わせる。けど、通訳は義理とか人情ゆうの分からんゆう。

「日本のヤクザなめたらアカンで。ワシは義理あって話し合いに来とるんや。

ワレは、それを金で片つけろとはどない意味や。ワシの義理を安う買うてくれたな」

 

 ワシ、ハジキ出して、その銃口でドイツ人のこめかみグリグリ押しつけて、日本語でゆうたんや。

通訳は青ざめて、しょんべんちびりよる。ワシ、通訳を蹴り上げて、

「オレのいうこと伝ぇェ。向こうは何ぬかしとるんじゃ。ウソついたらあかんで、オンドレもいてまうぞ」

とゆうてやった。

 

 通訳はワナワナ震えて、

「そのギリは、いくらで買えるのか、といってますが……」

「アホンダラ!ワシの義理を安う買うてくれたな、いう意味は、義理の値段つりあげとるんやない。

義理いうのはなんぼ札束積んでも売り買いできるもんやない。ワレ、大学出とるんやろう。

そんくらい通訳できんでどないする。そんでもワレ、日本人か!」

 

通訳はますます縮こまる。

ワシ、日本語で、

「ヤマトダマシイ、サムライ、ヤクザ、ギリニンジョウや。ハラキリ、ぶっ放すぞ!」

とゆうてチャカの撃鉄を起こした。

そないしたらそのドイツ人、土下座しよった。ワシの日本語の方がよっぽど通じるちゅうもんや。

 

 

情けある女検事に目こぼしされる

 

ドイツ人への追い込みは、大成功や。

ワシは上得意で、明日は金になると思うて、持ち金全部使うて、宿泊先のホテルへ1泊した。

そないしたら翌朝、迎えに来るはずの相手の社長じゃなくて、警視庁の私服の刑事が20人ほど来よった。

 

 ホテルはぐるりと警視庁の車やパトカーが囲んでいる。

しかも刑事連中は防弾チョッキまで着込んでる。

 

 ドイツ人の連中、あれから大使館に駆け込み、警察にタレ込みよったんや。

銃刀法違反に恐喝未遂、不法監禁、それに暴行と何でもかんでもつきよる。

 

 けど、ワシかて逮捕された時はハジキは持っていない。

刑事さんもさすがに日本人や、ワシの心情は理解してくれた。

けど、心情を理解しとったんじゃ刑事も商売にならんわな。

 

 

ワシはこういう性格しとるから、パクられたら全部罪は認めるんや。その上で、

「今度は、関西じゃなくて東北の刑務所へ行きたい」

とゆうてやった。そないしたら取り調べの刑事はこう言う。

「山本、普通なら何とか言って罪を免れようとするんだが、あんたはそんなに刑務所に行きたいのか」

 

 「ワシかて行きたくはない。けど、外人にコケにされて、謝ってはおれませんわな。

やったことは現にやったんや。今ここへ来て泣きを入れるんやったら、初めからしまへんわな」

と、ワシはゆうてやった。

 

 そないしたら、刑事がえらいワシのことを気に入ってくれた。

検事調書を取ることになったが、こん時の女検事をワシのこと気に入ってくれた。

この女検事は梶原一騎(故人)なんかを起訴した人や。この人にかかったら大抵の者が起訴される。

とくにヤクザを毛嫌いしとる検事やった。

 

 その検事がこないゆう。

「あなたの考え方は古い。清水の次郎長以前のヤクザだ。

今の時代、そんな考えでヤクザをしていてはやっていけない。あなたは2世紀古い」

 

 ワシはもちろん起訴されて、何年かまたクサイ飯食うもんやと覚悟しとった。

ところが、罰金刑やという。ワシ、それ聞いた時、不思議な顔したわけや。はんまに不思議やった。

 

そしたらその女検事が、「不足ですか」と言いおった。

結局、ワシが罰金10万円、ワシと一緒に同行した兄弟分が罰金8万円や。

 

 その女検事は別れる時にこう言いおった。

「山本さん、あなたはもう東京に来てはいけない。

あなたの顔を見ただけで2年か3年は刑務所に入れたくなる」

 

ワシは深々とお辞儀して、「えらい迷惑かけました。もう二度と東京へは来まへん。

あんたみたいに情けのある検事さんは初めてでした。

ヤクザしてへんかったら、惚れてたか分かりません。あんじょう、おおきに」

と、ゆうてやりましたがな。

 

 この事件は、当時の新聞にもデカデカと載った。

けど、こん時、思うたのは、警視庁の取り調べゆうのは屁みたいなもんや。

こないゆうたらお世話になった刑事さんには申し訳ないが、大阪府警とはえらい違う。

雲泥の差がある。あれじゃ子供でも泣き入れんやろう。さすがは日本の天皇陛下のお膝元や品が違う。

 

これは後から聞いた話やが、

ワシが追い込んだドイツ人は、再び日本に来た時、成田空港から大使館に電話かけて

「ジャパニーズ・ヤクザ怖いから機動隊を頼む」とゆうたらしい。

 

日本のヤクザはちっとも怖いことはない。

おまえが筋さえ通せば、ワシら何も手出ししない。こないゆうてやりたいわ、ほんまに。

 

 

 

22.ワシの「極道の妻」との出会い

 

 

 「極道の妻たち」ゆう映画を見たが、ワシの女房はあないにカッコ良くはない。

ヤクザも東映の映画のようにはいかんのと同じようなものや。

 

 こうゆうとみんなびっくりするが、ワシは結婚は一度しかしとらん。

そりゃあ、女遊びはやったが、女房は一人で十分や。

 

 浪商の野球部でハリ(張本勲)と一緒に甲子園目指したが、

ワシがあんまりゴンタしたせいもあってか、出られなくなってしもうた。

ハリは憧れのプロ野球に入れたが、ワシには声はかからん。けど野球はやりたかったんや。

 

 実は、これは初めてゆうが、ワシ、智弁学園の監督する前に、

丸善石油で社会人野球をやったことがあるんや。こん時に今の女房と出会った。

社会人野球ゆうても、野球だけやっとればいいゆうわけにはいかん。

やっぱり朝はちゃんと出勤せにゃならん。

 

 奈良から大阪まで電車に乗って、丸善石油の本社まで行った。

こん時、同じ電車乗っとったのがワシの女房や。

まあ、ピンと来て、いきなり声かけた。

「ワシと一緒になれ」これだけや。

 

 ところが、田舎町には結婚する前に「聞き合わせ」ゆう習慣がある。

つまり、両家の家族が、近所の人に相手の人柄や家柄なんかを聞く。

考えたらこれは便利や。興信所なんぞ使う必要ないからのう。

 

ワシの家は材木屋やっておったから、家柄は問題ない。

問題はワシや。田舎町じゃ、ワシはゴンタで有名や。警察に捕まったこともある。

 

 女房の兄貴が、ワシの近所の駄菓子屋に聞き合わせに行った。

そこのオバさん、警察の人やと勘違いして、

「アッちゃん、また何かワルサしたんか」と聞いたという。

 

 聞き合わせの結果は明らかやろう。

しかも、ウチの兄貴が女房の実家に行って嫁さんの前で、

「ウチのアツムは性格はいいんだが、我儘に育ったせいか、ケンカっ早いし、金使いは荒い。

今でこそ勤め人やっとるが、将来どんなもんになるか分からん。

だからアツムの嫁さんになるのはやめた方がええ」とゆうたらしい。

 

 最悪や。ところがワシの嫁さんも変わってるのか、それでもワシんとこに来るゆう。

ワシも相当、変わってると思うが、女房もほんまに変わってまっせ。

そないして結婚して娘が二人できた。

 

 兄貴の予言通りワシはどんどん道を踏みはずし、はずしついでにとうとうヤクザに迄なってしもうた。ワシは離婚届にハン押して、それを女房に渡してあった。

ワシに何かあったらいつでもそれを出したらええ。ワシの女房孝行はこれだけや。

 

 

娘の教育も命懸け

 

結婚して娘が二人できたが、極道になってから家なんか数回しか帰らん。

しかも、極道時代の約10年間は刑務所暮らしや。家庭内離婚なんちゅう生易しいもんじゃない。

組長やっとるゆうても金なんぞ満足に家に入れたこともない。

 

 外では何百万もの金を使って、無一文なってたまに家に帰る。

翌日、子供の貯金箱ぶっ壊して、小銭集めて出かけて行ったこともある。

 

 どうしようもない父親やから、娘もグレたり、ワルサしとると思うかもしれんが、

残念ながら娘二人ともまともに育った。

 

 ワシの教育方針ゆうたらおこがましいが、きわめて単純や。

これは組の若い者に対してもそうやが、早い話がど突き倒すんや。

厳しいなんちゅう甘いもんやない。怒るときは顔が変形するぐらいひっぱたく。

それこそ命がけでやる。教育も命がけや。

 

 ワシは娘二人に姉妹のキズナを叩き込んだ。

何せワシなんか、おるかおらんか分からんような父親や。いつどこぞに消えてしまうかもしれん。

母親かてそのうちに死んでしまうやろう。最後に残るのは姉と妹の二人きりや。

 

だから、どちらか一方がワルサしても、両方を叱るんや。連帯責任ちゅうわけや。

たまに学校のテストで悪い点取ってくる。そないしたら母親を怒鳴り倒す。

「おんどりゃ、ちゃんと見とかんからこないな成績もってくるんや。

子供の面倒ちゃんとみられんようなら、この家から出て行け。女のかわりならほかにもおる」

 

 こないゆうて母親を叱る。子供にしてみれば、母親がいなくなったら困ると思うやろう。

そうすると生活態度もちゃんとするし、勉強もするようになる。

 

 確か長女が小学校1年生の時に、学校でいじめられたゆうて泣きながら帰ってきた。

それを聞いた下の子が、仕返しに行ったゆう。

これがええか悪いかは別にして、姉妹のキズナだけは残せたと思うんや。

 

 ワシ、一度だけ家で泣いてしもうたことがある。それはワシが両方の小指詰めて家に帰った時や。

夜寝てても指がうずいてしようないわけや。

布団から包帯でグルグル巻きにされた両の手出してウンウンうなっておった。

 

 そないしたら、真夜中やのに二人の娘がパジャマ姿で起きてきた。

ワシの左右に座って、氷のう持ってうずく手に当ててくれるんや。

「父ちゃん、そないに痛い」

とゆうて、ちっちゃいガキが一晩中冷やしてくれた。

 

 ワシ、うれしいゆうのと、なんちゅうアホなマネしたかと思うて、涙が止まらんかった。

せつないゆうのはああいうのをいうんやろうなあ。

 

 

 

●23.元山口組系組との抗争事件

 

 

あれは昭和51年のことだった。ワシんとこの淡路会と、元山口組系のある組との間で抗争事件が起きた。相手の組はその後、山口組の分裂で一和会に行き、

今は解散してしもうたが、当時は超武闘派として恐れられていた。

 

 この元山口組系の組との抗争は、暴力団の51年抗争として大阪の新聞には何度もデカデカと書かれ、

大阪市民の皆さんには大変迷惑かけてしもうた。

今、懺悔の意味もこめて、この抗争事件の真相を語ろうと思う。

 

 事の発端は極めて単純だった。

ワシんとこの若い者が、元山口組系の組の若頭の補佐しとる人間と、飲み屋でケンカになって、

相手の頭をビール瓶でカチ割ってしまったんや。

 

 うちの若い連中も「このまま帰したらアカン」と思ったらしい。

けがをさした相手の頭をウチの事務所まで連れてきた。

ワシはある件で、1ヶ月前に刑務所から出てきたばかりで、このケンカがあった時は京都の家におった。

 

 うちは酒の上でのケンカはご法度や。

そこで、連中は、「親分の耳に入れないでなんとか済まそう」と相談したらしい。

 

 ところが、相手の素性を聞いたら、あの山口組の中でも武闘派で有名な組の幹部だと分かった。

「こりゃ、えらいことをしてしもうた」と思うたらしいが、もう取り返しはつかん。

頭をカチ割ったヤツは逃げてしまった。うちの若い連中は困り果てて、ワシに電話してきた。

 

怒られるのは承知の上で、事のいきさつを説明した。

「とにかくやな、過ぎたことはしゃあない」

ワシがこう言うと、てっきり怒られると思っていた連中は、カラ元気がついた。

「」相手は "助けてくれ!" ゆうて泣き入れてます。いっそのこと、殺してしまいましょうか」

と興奮してゆうてきている。

 

 「アホか!丁寧に送り返せ!」と指し図して、車を呼んで帰らせた。

受話器を置きながら、ワシも内心は、「エライことになるかもしれん」と思った。

 

 淡路会の親分や、兄貴分に相談した方がええかもしれん。相手はかケンカ慣れしとるので有名な組や。

そこの組の幹部の頭カチ割ってしもうたんやから、ただでは済まんだろう。

もし、これがワシのとこやったら、問答無用でケンカや。

 

 そんなことをいろいろ考えていたら、家の電話が鳴った。事務所からや。

「頭、相手の組から電話がありまして

"うちのもんと知って頭カチ割ってくれたな。これで済むと思うな " とゆうてきてますが…」

こん時、ワシは腹をくくったんや。

 

 

相手の組事務所でおはぎを食う

 

ワシ、バーッと大阪に行った。もちろん、相手の組事務所に乗り込む気や。

まず、淡路会の事務所に寄って、ワシが直接、相手の組事務所に電話した。

名乗ると、「コラァ!山口の者にこんなことさらして、ただで済む思うとんのかい!」

 

 

「さっきウチで、頭下げて帰った頭いてますか」そないしたら、

「ただいま外出中です」言いよる。

「あんたとこの頭、ウチへきて "助けてくれ" といいますさかい、丁寧に送り帰してやったんですが、

どういうことですか。

組の頭の所作ゆうものがどんなもんか、これから、ワシがそっちに行かせてもらおうやないかい」

 

 とゆうて電話を切った。火事場のアホ力や。ところがうちの若い者が、

「一人で行ってはいけまへん」とゆう。

「アホかい。おまえら連れていって、ワシに恥かかせる気か」

 

ワシ、大阪のホテルでその元山口組系の組の迎えを待っておった。

その事務所に行ったら、若い衆が40〜50人おった。

バァーッと囲まれて、問答無用で両わきと後ろからハジキ突き付けよった。

 

 「おう、こりゃえらい歓迎やなあ。ところで組長おるか」と聞くと、

「留守だ」とぶっきらぼうな返事の上に、

「頭カチ割られて、男のみ間に傷つけられて辛抱できると思うのか」ときた。

 

 これが相手の最初の切り口上や。ワシもこうなったらしゃあない。腹くくった。

けどケンカするばっかりでは、頭失格や。話し合いの糸口はないかと思うて、

「うちは酒の上でのケンカはご法度や。お互い、ケガしとるんやから、見舞い見舞われでええやないか。

ワシも淡路会の頭やっとる人間や。こんな話をつけんと帰ったら、カッコつきませんわな。

 

 

若い者の粗相はワシが始末する。ケンカが嫌で、話するんやおまへん。

ケンカする前に、話し合いで済むことやったら、済ませるゆうのが筋とちゃうか。

だれか責任持って、話のできる人間はおらんのかい」

こないゆうても、だれも出てこん。

 

 そのわきで次々電話がかかってきとる。しかも、ワシに聞こえるように、こと細かく報告しとる。

そして、「殺してしまいましょう」なんてやってるわけや。

 

 こないなったら、もうどうでもええわ、と思った。映画の高倉健のセリフやないけれど、

自分とこの敷内で殺されるより、よその敷内で殺される方が極道冥利に尽きると腹決めたんや。

 

 「上等やで、好きにせんかい。

あんたとこの頭みたいにやな、謝って帰してもらって居直るような事はせんのや。

あんたらもケンカしてうちの若い者殺すより、ワシのタマ取った方がええやろう。

メザシの頭でも頭は頭や。殺しなはれ。

ただし死にみやげにひとつだけ聞いてやっておくんなはれ。ワシはおはぎが一番好きなんや。

殺されて解剖されて腹の中からおはぎが出てきたら、ここで食ったんやとみな思うやろう。

そないしたら、好きなおはぎ食って死んだんやから、

頭もさぞ満足だっただろうと思ってくれるやろう」とゆうてやった。

 

 

 

●24.カチ込みされて「なぐり込みや!」

 

 

相手もなかなかのもんや、おはぎ2個とお茶を出してきよった。

ワシは、「この世で口にするのも、このおはぎが最後か」

とかみしめながら食ったが、そんなもん喉も通らない。

味なんか分からへん。やっとの思いでひとつ食った。お茶も飲み終わって、

「さあ、好きにやってくれ」と座り直した。

 

 ところが相手の組の連中は、またどこぞに電話して、

「今、おはぎ食い終わりました」と何やら報告しとる。そしたら、

「もう少しお互い事情を聴いて、ケンカすんならそれからでも遅うない。

一人で来た人間を殺すゆうようなことをしたら、山口の代紋に傷がつく」と相手が言いよった。

「送るわけにはいきまへんが、車呼びましょう」と言われ、その場は、殺されんと事務所の帰ったんや。

 

 この元山口組系の組との抗争終結後、ワシは警察に捕まったが、

取り調べの刑事がこの"おはぎ事件"を相手の調書から知って、

「ようそんな命知らずなことをやりよったなぁ」とビックリしとった。

 

 おはぎを食わせてもらったうえ、車に乗って事務所に帰ったら、

うちの若いもんは血相変えて、みんな戦闘服に身を固めてワシを待っておった。

「ごくろうはんです」と今にも泣き出さんばかりのヤツもおる。

 

 

その直後や、"バババーン"と事務所にタマ撃ちこまれたんわ。

「なんや、話が違うやないか。お互いに事情を聴いてからちゅうのはウソやったんかい」

と思うたが、そんなんは後の祭りや。

 

 ワシはもう頭にきた。

「道具持ってこい!こうなりゃ、とことん行くぞ!」と大号令だ。

若い者にレンタカー借りてこさせ、車の後ろのガラス外して猟銃持たせた。短銃やない、散弾銃や。

 

 これやったら少々的に外れても当たる。

そない準備しておったら、また銃撃された。カチ込みの第二波や。

「ケンカにルールはないんでっせ」と相手の組から抗争が終わった後に言われたが、

その時は頭にカッカッカッーと血が逆流して、落ち着いて考える余裕もない。

 

 「こないされたら、黙っとられん。徹底的に行ったろ!」と先発隊を送り出した。

車1台に4人乗せて、全部で5台20人。殴り込みや。

 

 ところが、どっこい、相手の方が役者が上でんがな。

むこうの事務所はもう機動隊がガードしとるゆうやないか。

それも山盛りや。相手が警察に通報したのか知らんが、機動隊に守られた最強のトリデや。

 

 

「手も足も出ません」ゆうて先発隊は帰ってきよる。頭ええいうか、先手先手と手ェ打ってくる。

あの山口組の中でも超武闘派と恐れられる組だけのことはある。さすがにケンカ慣れしとる。

ワシもあの時はええ勉強させてもらった。

 

 相手はハジキをバンバン撃ち込んでくる。後れをとったワシは焦る。

余裕を持った向こうは、本家に人を介して話を丸くおさめるちゅう動きもしてくる。

けど、ワシと親分の淡路会会長の面目は丸つぶれや。情けのうて情けのうて…。

このまま引き下がったら、ヤマモト・アツムの名がすたる。何のために極道しとったんか分からんわい。

 

 

突入を前日にみんなで涙の水盃

 

元山口組系の武闘派との抗争は約1ヶ月続いた。ワシの事務所にも機動隊が張りつき、

マンションに出入りする洗濯屋から出前持ちのお兄ちゃんまでみんな身体検査される。

 

 ワシの事務所と同じマンションに住むおばあちゃんから、

「頼むから、もうケンカみたいのはやめといて」とすがってこられた時は、

さすがのワシも返す言葉はなかった。

「おばあちゃん、すまんな、堪忍な」いうのが精一杯や。

 

 

こっちの方も相手の事務所も機動隊にすっかり包囲されて、互いに手出しができん。

うっかりハジキなんぞ持って歩いたら、すぐにしょっぴかれる。

けど、情報を取って、どの辺を狙えと指示したり、だれそれが外出しとるいうことが分かる。

そして町の真ん中の商店街で、撃ち合いまでやってしもうた。

 

 そうこうしとるうちに、暴力団の親睦団体である阪神懇親会が見るに見かねて調停に動き出した。

手打ちの話や。

元山口組系の組の方はワシのとこにハジキをバンバン撃ち込んどるからカッコはついとる。

けどワシらはやられっぱなしや。本家の諏訪組の方からもそろそろおさめや、ゆうてくる。

 

 ワシ、淡路会の会長にゆうたんや。

「親分、このケンカもうアカン。組つぶす気でやるしかない。

天下の山口組の武闘派とケンカして、組つぶされるんなら上等でっしゃろ」

 

 親分も腹くくってくれた。「おお、行け!かめへん。オレも行く!とことん行こうやないかい」

淡路会の会長いう人はそないな人や。よそから借金してきた金も何もかも投げ出してくれた。

ワシは若いもんみんな集めて領置金(拘置中に使える金)持たせてこう言った。

 

「警察にパクられたら、接見禁止になるやろう。しかも、その時には組がのうなってるかもしれん。

とにかくこの金でしのげ。

どうしても取り調べに絶え切れんかったら、すべては山本の指示でやったといえ。

女房や子供がいるヤツはいまのうちに会っておけや」

 

 警察がおろうが機動隊がおろうが、突入する覚悟や。親分もいう。

「こうなったらしゃあない。山口組の本家でもどこでも行け。オレが陣頭指揮を執る。

オレも死んだる!」

 

 単なる殴り込みやない。特攻隊や。そうはいっても親分を先に死なすわけにはいかん。

「親分、ワシも死にまんがな。親分を先に死なす子分がどこにいてまんの」

ワシこないゆうてみんなで涙流して水盃したんや。そんな時でも親分はこないゆう。

「けど、これだけは絶対に肝に銘じておけ。女、子供にだけは絶対ケガさせたらあかんぞ!」

親分は、これだけは念押しした。

 

 現場の責任者はワシや。ワシはそれこそ、

「もう警察がおろうが何がおろうが、とにかく行くんじゃ!」ちゅうもんですわ。

なんせワシなんか、何日も寝とらん。目のふち真っ黒にして、パンダみたいや。

拳銃を何丁もベルトにはさんで、今考えればそれこそ漫画やけど、その時は真剣そのものやったんや。

 

 

 

●25.決行の朝、本家の「手打ち」を知る

 

 

ワシらは親分の淡路会会長と涙流しながら、水盃を交わした。

あり金を全員で分配し、あるだけのハジキや実弾かき集めて、「死んだる!」ゆうて腹くくったんや。

 

 いよいよ殴り込み決行ゆうより、死にに行く日の朝を迎えた。

夏の暑い日だった。セミまでが、「死んだれ!死んだれ!」と念を押すように鳴いておった。

 

 いざ出陣という時に親分から電話が入った。

「アツム、すぐに来い!」ワシは親分の家に駆けつけた。

 

 ここも機動隊に囲まれておった。どぎつい身体検査受けて、やっと家ん中入ったら、

親分は死に装束を連想させるような真っ白な浴衣にへこ帯しめて床を背に正座して待っておった。

 

 ちり座して何事かと親分に向かい合った。

親分の第一声は、「アツム、このケンカもうやめや」だった。

 

 ワシ、最初は何のことゆわれたか、分からんかった。

ほんの2〜3秒やったが、1時間くらい沈黙が続いたように思うた。

 

 親分は"山口組への殴り込みをやめろ"と言ったんや。ワシ、えらい大声出した。

「やめとけ、やて!なんでんの!話が違うやおまへんか。そんなこと辛抱できまっかいな!」

「オレの言うこと聞けんのかい!」

 

 「聞けるかい!」とワシは半分やけくそな声を出した。

そりゃ、聞けるわけはない。頭の中は死ぬことしか考えていなかった。

若い者も死ぬ腹決めとる。水盃まで交わしとるやないかい。

 

 

親分の怒声が続いた。

「オレの言うことが聞けんのかい!根性入れて、聞けんゆうとるんやな。

よし、そんなら、破門じゃい!」

 

 ヤクザの世界は、親分の言うことは白でも黒と言わにゃあならん。ワシ、本気で親分に逆ろうた。

夏や、スイカが出されとった。真っ赤なええ色や。色で売り出すスイカでさえも、中に黒いタネがある。

浪曲の一節じゃないが、こんな時のことをゆうんやろか。

 

 「破門もクソもあるかい!」とゆうて、ワシ、そのスイカを親分にぶつけたんや。

「親分殺して、ワシも死ぬんじゃ」と、一瞬、ほんまに思うた。

 

 結局、本家の諏訪組の方で手打ちの話がついてしもうてた。

本家の決め事には、うちの親分といえども逆らえん。

ほんまゆうたら、親分もワシと同じくらい悔しい思いをしたんやろう。

 

 けど、そんなこと親分は全然、説明してくれへん。これがヤクザ社会いうもんや。

ワシかて分かっとるが、腹の虫はおさまらん。

 

 その直後、本家の諏訪組から、「山口組系の組と手打ちするから来い」とゆう知らせが入った。

本来なら淡路会会長であるワシの親分が出席するのが筋や。

ところが、なぜか頭のワシに「来い」とゆうてきた。

 

 

本家の総裁の前で大粒の涙

 

元山口組系の組と手打ちするから、その打ち合わせのために諏訪組の本家に来いゆう連絡があった。

「そんなもん行けるか」とワシはゆうたが、そうもいかん。なにせ本家からのじかの出頭命令や。

 

 

いくら頭とはいえ、本家のことで、親分の代役が務まるわけはない。

総裁ゆうたら、ワシなんか口どころか、側にも立てん人や。

けどワシに来いゆうことは、何かあるんやろう。けどワシはそんなことおかまいなしや。

 

 本家に行くと、総裁がおって、みなピーッと正座しとる。ワシからみたらオジキばっかりや。

けどワシはもう破れかぶれ。ふてくされて、アグラを組んでおった。

礼儀知らずも何もあったもんやない。明らかにワシは浮いておった。ピーンと張りつめた空気や。

 

 本家の総裁が初めて口をきいた。

「オイ!山本。おまえ、ケンカもようせんと、逃げとったらしいやないけ!何が頭や!」

 

 冷や水ぶっかけられたいうのはあないなことをゆうんやろう。

ワシかて捨て身の覚悟で腹くくって、殴り込みに備えて姿を隠していたのを"逃げた"と思ったらしい。

 

 「何ぬかす!」ワシそう思うた。けどそんなセリフ、口からよう出てこん。

ひざがガクガク震えた。体全体がゆうこときかんぐらい震えた。金縛りや。

本家の総裁は真剣に怒っとる。納得していない。

 

 バシーッと、灰皿が飛んできた。総裁がワシめがけてぶん投げたんや。

けど、ワシ何もできん、何もゆえん。

本家の人間は正座して横に並んどる。ワシの目から雨みたいな大粒の涙が落ちてきよった。

泣くなんてもんやない。涙が吹き出してきよった。

 

 

 けどこうやって、元山口組系の組との手打ちの段取りはついた。

阪神懇親会の本部に手打ちに行ったら、その組の若い者頭は小指を切っとった。

うちの若い者とケンカして、抗争のきっかけになった相手や。

ワシにとっては面目丸つぶれの抗争事件の手打ちやったが、こないして相手も傷ついたんや。

けど、今でもその時のことを思い出すと、腹の虫が泣きよる。

 

だが問題はこれだけで解決せんかった。警察が動き出した。まず元山口組系の頭や若い者がパクられた。次はワシらの番や。ところが親分の運転手とか、ワシの運転手と下っ端の者から持っていく。

それからいもずる式にワシんとこの若い衆、26人がパクられた。

事務所の中は、差し入れや、弁護士やとてんやわんやになった。

 

 これだけの若い衆がいっぺんにパクられるゆうのは初めてや。

パクられた連中は大阪中の警察署に分散された。

本部の帳場は、当時の東淀川署に設置された。本部の四課ゆうたら、極道以上や。

 

 ワシはそんな中で、いつパクりにくるかと待っておった。それでもワシのとこにはなかなかきよらん。

「今度、パクられたら、当面出てこれんやろう」ワシそない思うて女連れで温泉に行った。

「逃げるんやおまへん。連絡あったらすぐに帰ってきまっせ」

 

 若い衆がパクられて2ヶ月ぐらい過ぎたところで、やっとワシの番がきた。

弁護士に付き添われて、本部に出頭したが、ワシ、こん時、ハジキを10丁ほど持参した。

けど半分はモデルガンや。残りのハジキも撃針を折っておいた。

 

 

まあ最初は、拘留調書を取る。そこでこのハジキだしたら本部の4課の刑事がこない言いよる。

「オイ、頭。本部は所轄とは違うんだぞ。甘くみたらあかんぞ!こりゃ何や!」

もう極道以上や。

 

 「何やて、これ道具でんがな。これがワシのみやげでんがな」

「みやげやったら、マルがひとつ足らんのとちゃうか」

ワシ、カーッときて、

「足らんゆうのやったら、

そこらの一銭ポリが、よう使いもさらさんと腰にぶら下げとる拳銃を集めてこいや!」

「何ぬかしよる!」

 

 と、調べ室にワシの弁護士がいるのに、その刑事はワシの首をつかみにきよった

初日からこの調子や。そん時のワシの口上は、

「桜の花が咲いたからゆうて、帰してくれ言いませんでぇー」

 

 

●26.抗争の全責任を負って止めを打つ

 

 

 結局、抗争事件が起きてから1年後にワシは逮捕されたが、こん時の罪状は傷害罪や。

それも数年前に覚醒剤を射っておった者をド突き倒した件やという。

いわゆる別件逮捕ゆうやつだが、ほんまに警察はえげつないところや。

そんなもんこっちは逃げも隠れもするかい。早ようこい早ようこい思っておったのに別件とは何事や。

 

 それからひとつひとつ事情聴取を受ける。

こっちは、「全部ワシがやった、ワシがやれゆうた」というだけだから、簡単に済む思うていたが、

ちまちま聞いてくるもんやから終わるまで半年もかかってしまった。

 

 なんせ、20何人もパクられたから、みんなの口裏があわん。難儀したもんや。

特に府警4課の捜査本部の取り調べゆうたら、きついちゅうなんてもんやない。

ウチの若い者の中には、首つって自殺未遂したヤツもおったし、気ぃ狂ったヤツもおった。

 

 どうしてもウタわされて、ワシに会わす顔がないゆうて、小指を噛み千切ったヤツもおったぐらいや。

社会では能書きゆうておっても、警察にパクられたら、ほんまに根性が変わる。

あれだけパクられる前に、綿密に打ち合わせをやっておいても、全然あてにならん。

 

 こんなこっちゃ、そんなこっちゃで半年間取り調べの結果、

今度の抗争事件の全責任はワシやということで止めをうったんや。

 

 そして、保釈の話になった。若い者から順にどんどん保釈で出ていきよる。

そないしてやっとワシも保釈されることになった。

 

 ところが、これだけの人間みんな保釈されたら、それだけでなくても貧乏な組や、

親分や兄弟分が家を担保に入れても、保釈金が追いつかん。

みんなが金策に走り回る。

 

 こんな時は、パクられて出てこれん者もきついが、

金策に駆けずり回らなならん親分や兄弟分はもっと辛かったやろう。

 

 恥ずかしい話、若い者は何とか保釈で出たが、ワシの保釈金がでけへん。

なんせワシの保釈金は若い者の10人分ぐらいかかる。

親分の心中も分かるが、これ以上の無理も言えん。

 

 それでワシ、取り調べの刑事課長にゆうた。

「ワシ、金があらへん。保釈金が払えへんのや。このまま裁判受けて、お勤めに行きます」

けどこの刑事課長ちゅう人も変わった人やった。

 

 「今度、入ったら当分出てこれんやろう。ワシが金の段取りつけたるから1回出れや」

とこない言いよる。

 

 ワシ、冗談にしろ、うれしゅうて、鼻柱が暑うなった。

きっと、ワシが検事調べの時、一切のゴチャゴチャなしに罪状認めて、刑事課長の顔も立ったんやろう。

 

 

 結局は、検事の温情もあり、弁護士保障も手伝うて、ワシの保釈金が一番安かった。

こんなことは前代未聞や。

警察ゆうところは、なるべく世話にならんほうがええし、ほんまにえげつないところやが、

なかにはこないなけったいな刑事もおる。

 

 そういえば、ワシ、半年間警察におって、少しは協力したこともあった。

あれはえらいしぶとい盗っ人が捕まってきよった時や。

取り調べの刑事同士の会話で、なかなか口を割らんのが分かった。拘置期限がどんどん迫ってくる。

そこでワシがかわりに調べてやった。もちろん腰ヒモに手錠つきの即席刑事や。そりゃききまっせ。

 

 「おんどりゃ!たかが盗っ人がなにカッコつけとる!死刑になることはないんやで。

早よう往生して、帰ること考えんかい。とっとと白状せんかい!」

ゆうて睨み倒してやった。そないしたらこのこそ泥、かしこまって全部吐きよった。

若い刑事が感心して、「頭、今度生まれ変わったら刑事になってください」と言いよった。

 

 

裁判官に男の約束。「若い衆を堅気にさせます」

 

ワシがパクられた後、本家の、二代目の諏訪組組長の有末辰男親分が、道具に関連した事件で、

府警本部にパクられることになった。

その時に調べにあたった刑事が、ワシん時の担当刑事で、抗争事件の真相をすべて話してくれたらしい。

もちろん、相手の組へワシが単身で、掛け合いにいったことも、調書から知って話してくれたらしい。

 

 

それで保釈されて、本家の総裁に一部始終を話してくれた。

すべての真相を知った総裁がワシに謝ってくれた。

総裁は、この抗争でワシが逃げておったと思っていた。

 

 「山本、オレの間違いやった。辛い思いさせたな、勘弁してくれ」

こないして本家の誤解がとけたんや。

 

 それまで、ワシの腹の虫は、「ヤクザやめたれ、やめたれ」

と泣き続けておったが、総裁の一言が、特効薬となって腹の虫はおさまりよった。

それ以来、総裁は何事があっても、「アツム、アツム」と特別に大事にしてくれた。

どんな社会でも辛抱は、大事なこっちゃ。

けど、あの時、もし誤解がとけなければ、ワシはもっと早く足を洗っとったかもしれん。

 

 ワシらの裁判が始まった。罪状は凶器準備集合罪、傷害罪、銃刀法違反、火薬法違反…

名詞の肩書きやないけど、覚えきれんくらい罪名がついておった。

 

 裁判は分離公判や。

ワシは裁判になっても「刑事さんの調書通りです」ちゅうもんですわ。

ただウチの若い者の裁判に、証人として出廷したときは、裁判官に土下座して、泣きを入れておいた。

 

 「お願いします。こいつらはもう極道として使いものにならん連中ですから、全員、堅気にさせます。そうでっしゃろう。親分の写真や組の代紋に鉄砲玉うち込まれ、提灯に穴あけられた。

これで、報復できんようなものをヤクザさしといても意味がない。

また、女房、子供のおる人間が刑務所に行ったら、本人はよろしゅうおます。

けど残された女房や子供がどんなに辛いか、ワシはよう知っとりますし、経験しとります。

ですから、こいつら全員堅気にさせますから、なんとか刑務所に行かんでもええようにして下さい」

 

そないゆうて、法廷で手ついて頼んだ。

そうしたら、その裁判官が突然、ウチの若い連中に怒りだした。

 

 「君達も男だろう。ヤクザやっていて、なんでもかんでも頭のせいにする。

このまま山本被告が全部の罪背負っていったら、一生、刑務所から帰ってこられませんよ」

けどワシは裁判官にゆうた。

「裁判長さん。どうか堪えてください。ワシはどんな償いでもします。どうかお願い申し上げます」

ワシ、もう涙で顔があげられへん。

 

 けどこの裁判官は分かってくれて、ウチの連中はほとんど執行猶予にしてくれた。

どうしても刑務所に行かなならんのは前科があったり、別件持っとる連中や。

 

 ただ最後に裁判官にこういわれた。

「ただし山本被告、君が責任持って全員堅気にしてあげなさい」

「分かりました」

と法廷の天井が抜けるほどの大きな声で、ワシは男の約束したんや。

 

 そないして、とうとうワシの判決の日が来た。無期懲役でもなんでもええと思うていた。

そないしたら求刑が「懲役7年」

 

 

 

●27.2度目の獄中生活を送る

 

 

二度目の刑務所暮らしや。

これは何度も言うが、ほんまに刑務所は辛いところや。別世界や。人の住む最底辺や。

 

 懲役5年くろうて、4年6ヶ月おったが、この時ほど、えらく本を読んだのは初めてや。

一番好きやったのが、吉川英治の小説や。

「宮本武蔵」から始まって、「平家物語」「新太閤記」「親鸞」「三国志」と読んだ。

 

 この時のムショ暮らしでは、ワシがあの元山口組系の組と事を構え、

罪状を全部背負って務めにきたのがムショ中に知れ渡っておって、

みんなが、「頭(かしら)、頭」ゆうてワシを立ててくれた。

 

 これだけ、立ててくれれば、ワシも悪い気はせん。

けれどそれだけムショの中でええ思いしたかといえば、そうじゃない。むしろ反対や。

みんなに立てられ、大事にされるゆうことは、逆に弱いもんを助け、他人の悩み事を聞いてやり、

字の書けんやつがおったら代わりに手紙を書いてやらなしょうがない。

 

 ワシのこの性格やから、理不尽なことがあったら、他人のことでも看守にくってかかる。

実際の話、看守ちゅう人種は弱い者いじめが得意や。

ここでワシが入らんとならん。そないすると今度はワシが袋叩きにあう。

あんまりド突かれて頭の線が2~3本、切れたんとちゃうやろか。

 

そうするとワシが懲罰くろうて懲罰房に放り込まれるちゅう訳や。

ほんま獄中でもシャバでも見栄を張るのは辛いことや。

 

 懲罰房ゆうのは、刑務所の中の刑務所や。最高懲罰は法律で60日間と決められている。

ある時、ワシは60日間、懲罰房に放り込まれた。あん時はほんまに辛かった。

 

 夏は暖房、冬は冷房や。室内は立っても座っても寝ても一畳や。

飯は言うに及ばん。なによりも辛いのが、話し相手がおらんことや。

人間ほんまに、腹の減ったのと、孤独に弱いことがしみじみと分かった。

 

 ある朝、点呼の前に目が覚めた。

鉄格子の入った狭い窓から、朝暘ちゅうにはあまりにもかわいそうな、お陽さんが顔をのぞかしよる。

 

 ふと見ると、ワシの目の前に油虫がおった。

なんや寝呆け眼のワシにむかって、生意気に黒い長い髭を上下に動かして、挨拶しとるようにみえる。

ワシに話し掛けてきおった。ワシ、返事した。

「あの宮本武蔵は3年間、姫路城の暗黒の倉に閉じこめられたやないか。

ワシが2ヶ月ぐらいの懲罰房生活で、根をあげてどないするんや」

 

 

ワシ、自分に言い聞かせるようにその油虫にゆうた。

それ以来その油虫と友達になり、"鉄"ゆう名前までつけた。

刑務所では鳥とか、生き物に餌をやることは禁じられておる。

けど、ワシは隠れて、"鉄"に飯の残りを与えた。

 

 そないして、「鉄、何や最近元気がないのう。なんぞ心配事でもあるんか」ゆうたり、

「獄身に零落の吾

焦る心も 歳月三冬

今は吾身 不随なりとて

やがて訪れる

萌えし春に

花咲かす 肥えとなりし

此処の汗」

 

なんちゅう戯れに作った詩を読んだりしては、油虫の鉄に感想なんぞを聞いたもんや。

こんな場面、社会の連中が見たら、山本集もついに頭がおかしくなったかと思ったろう。

 

 

娘の高校受験合格を獄中で知る

 

「落ちぶれて、袖に涙のかかる時。人の心の奥を知る」

ゆう誰が作ったか知らんが、ええ歌がある。

ワシも、辛い獄中生活やったが、人様の情に触れたゆうか、うれしいこともあった。

 

 そのひとつは、あのハリ(張本勲)が念願の巨人入りしたニュースや。

ワシと一緒に浪商の野球部できつい練習に耐え、ずーっと巨人に入りたいと思っていたんや。

ハリは高校2年の時、巨人のスカウトに見込まれたほどや。

 

しかし、ワシがゴンタばかりやってるもんやから、ハリまでワシのとばっちりくって、

いざ甲子園に出場ちゅう時に、休部にされてしもうた。

 

 ワシが思うには、こん時のことがあったんで、ハリは巨人に入れなかった。

いってみれば半分はワシの責任や。

ワシは、これでやっとハリも夢がかなったなと思い、心ん中で手を叩いたもんや。

 

 同じ房の連中の情に胸うたれたのは、ワシの娘が高校を受験する時や。

「山本さんの娘さんが入試に合格するようにみんなで手を合わして、祈ろうや」

と同じ房の人間が言い出してくれた。

 

 「何が手を合わすや。指がちゃんと5本ない人間が手を合わしても、ご利益なんぞあるもんかい」

などと言いながらも、みんなで祈ってくれた。

 

 シャバでは、悪いことばかりやり、神様も仏様も見捨てたような連中や。

けど、こいつらが人の娘のために手を合わしてくれる。地獄での仏頼みとは、このこっちゃ。

 

 初春とはいえ、底冷えのする季節や。獄の窓ガラスもまだ白く曇っている。

いよいよ娘の受験当日や。

曇りガラスのあちこちに、『祈、山本さんのお嬢の高校受験合格』いう指文字が書かれたんは。

 

ワシは、「あほたれ、おまえらに祈られたんじゃ。受かるものも落ちてしまう」

と悪態ついたが、涙見せんようにすんのにどんだけ苦労したことか。

 

 受刑者にとって、身内からの手紙は一番うれしいもんや。

けど女房に手紙を書けても、子供には絶対書けん。

自分の子供からきた手紙はそれこそ手を合わして、涙でぐちゃぐちゃになるまで読むが、

子供に返事を書く苦労ゆうたら、言葉ではとてもよう言い表わせん。

 

 人を殺めた人間でも、世間の人間が見たら、ひきつけを起こすような、鬼瓦みたいな顔をした男でも、

この時ばかりは目に涙するもんや。

 

 そしてワシのところにも娘から手紙が来た。

「拝啓。おとうさま。私は無事に高校受験合格しました」

ワシ、その後の字が読めん。涙がカーテンしよる。

ポタポタと水滴が、娘の丸文字ゆうのか、薄いピンク色の花柄のついた便箋に落ちよる。

丸文字のインクがワシの心ににじみよった。

 

それからしばらくして、刑務所内で、

「山本さんのお嬢が受験合格しよった。万歳!万歳!」ゆう声が響きわたった。

普段はクソ憎たらしい看守までが、「山本君、おめでとう」と言いよった。

ワシは、「アホたれ、おまえらに祝福されたら娘の将来が心配や」

ゆうたんやが、心の中ではうれしくて、うれしくてしょうがなかったんや。

 

 

 

●28.やっぱり刑務所は人間の行くとこやない

 

 

 刑務所におると、どんな悪いことやった者でも詩人になる。たいした詩なんぞ書けっこない者でも、

たいていの者は、なんや詩のような、出来そこないを一編か二編は書きよる。

 

 季節の移り変わりに敏感になるのも囚人の特徴や。

春になって桜の蕾が膨らみよる。獄の窓ガラスから、春の陽気が感じられるようになって、

みんながなんぞそわそわしよると、桜の花が開きよる。

 

 けど囚人やっとる人間は、満開になった花びらに心を弾ませるのではなく、

そん時、散っていく一片一片の花びらに思いを寄せるんや。

 

 桜の木が、パァーッと華やかな衣装をまとうが、表面の華やかさとは反対に、

気紛れな春風や雨の悪戯で散って行く花びらがある。これを自分と二重写しにする。

 

 「おまえが散って桜の木の下の土に落ちていき、朽ちていく。本体の肥やしになるんや。

こないして、夏を迎え秋が訪れ、厳しい冬を迎える。

けど散っていった一片一片の花びらが肥やしになって、

また、桜の木は満開を迎えるんや。ワシの分もしっかり生きよれよ」

とまあ、こないな心情になる。早い話がセンチメンタルゆうもんや。

 

詩人になって、松尾芭蕉も真っ青な、観賞人になって、囚人はえらい善人になると思うやろう。

こないな子供の心を持つのは事実やが、みんなが善人になるかというと違う。むしろ逆や。

 

 警察や刑務所は犯罪者を改悛させるどころか逆に罪人を作るところや。

なんせ警察はなんでもかんでも罪状を押しつけてくる。

 

 刑務所は、小生意気な世間知らずの看守がいばりちらし、

なにかあると規則を持ち出し、理不尽に虐待しよる。ここでは正義なんちゅうものは存在せん。

極端にゆうたら戦争中の憲兵と一緒や。

せっかく罪を改め、詩人になろうとしている囚人も、憲兵まがいの看守の態度に頭にきてしまうんや。

 

 それでどないするかというと、悪さを考える。

例えば、100万円盗んで捕まったヤツは、こんどは1000万円盗んだろうと考える。

一瞬でもそない思うたら、刑務所いうのは最高の犯罪者の養成学校や。

 

 まわりにはその手のベテランがごちゃごちゃいよる。悪知恵の情報交換や。

強盗、スリ、恐喝、金庫破り、サギ、殺人、偽造、スケこまし、知能犯となんでもおる。

看守の理不尽な虐待が続けば続くほど、人間ちゅうのは、見返したろうと思うもんや。

 

 

ここでいろんな勉強して、「よし、次は完全犯罪や」と思っていろんな大きなヤマの絵図を描く。

せっかく詩人になった囚人もこないして再犯への道をたどるんや。

やっぱり刑務所いうところは人間の行くとこやない。絶対行ったらアカン。

 

 

感動!そして映画以上やった出所の日

 

辛いばかりの刑務所とはいえ、辛いゆえに色々な楽しみを見出す。

室内では、将棋、卓球、のど自慢大会、屋外では、年一回の運動会。

 

 それにソフトボールとバレーボールや。強いでぇ。もう国体級や。

ワシの球はすごいからな、投げりゃ魔球、スパイク打ちゃあ、これまた無敵。

普通に投げたってナチュラルカーブやドロップや。

 

 何せ指が五本揃っとらへんのや。並の変化球とちゃうで。

とにかく投げた本人が、どこ飛んでくか分からへんのやから、受ける方に分かる訳がない。

 

 週何回かの昼休み、年に何回かの工場対抗試合。

みんな真剣になりよる。ガキの頃、思い出して、みんな顔はクチャクチャや。

 

 

でもなぁ、いくらソフトボールに夢中になっても、シャバのことは一時も忘れられるもんやない。

学校やないけど、毎日のように、新入生が入ってくる。彼らがシャバの情報を持ってくるんや。

山口組の三代目組長、田岡親分が死んだと聞いてみんなで手を合わせたこともある。

ワシも素直に、冥福を祈った。

 

 刑務所暮らしも3年過ぎたころには、淡路会は解散、皆ちりぢりになってしまったとの噂も入ってきた。

ワシの留守中に、本家諏訪組の直参の若い衆に取り上げられたらしいちゅうことや。

 

 格でゆうたら、大出世や。めざしがいっぺんにブリになったようなもんや。

でも、気持ちは複雑やった。もとはといえば、淡路会の親分に心酔して飛びこんだ道、

できることなら淡路会の二代目になりたかった。

 

 それが組は解散、淡路会の会長は本家の親分とゴチャゴチャしたことで、ヤクザをやめよったという。

いってみりゃワシは人質にとられたようなものや。出所しても諏訪組に帰るつもりはなかった。

 

 出所して、出世したといわれても、なにもうれしいことはない。

子会社潰されて、親会社の課長になれ、いわれるようなもんや、と言うたら分かってもらえるやろうか。

 

 

ワシは子会社のほうに、恩義も愛情もあったんや。もう帰るところはない。

「もうやめたろう、ヤクザはやめや」本気でそう思った。

義理や人情やいうても、所詮、汚い世界なんや。こんな世界、ワシの方から、盃返したる。

 

 4年6ヶ月がった。出所の日がきた。荷物まとめて塀の外へ出ようとした。

そうしたら早朝やとゆうのに、門前がまるで火事にでもなったかのように、真っ赤になっとる。

 

 「何や!」思うて出ていくと、道の両側に諏訪組いう文字の入った提灯がいっぱい並んどる。

1000人くらいもいたやろうか。みんなが一斉に頭下げて、

「お勤めご苦労さんです!」ゆうたんや。

 

 上げた顔を見渡してワシはびっくりした。淡路会の連中はもちろん皆来てくれた。

その中にまじって、本家の若い衆の顔が見えた。

まさか本家の連中まで来てくれるとは、まったく思ってはいなかった。

 

 

うれしかった。ほんとうに、どういうたらええんやろうか。

ワシ、ムショの中で、ヤクザやめたろうと思うていた。

けど半面では、淡路会以上の組織作ったろういう気もあったんや。

けどこないなったら、昨日まで考えておったグチャグチャは飛んでもうた。

 

 みんなに、挨拶をと言われた。

一段高い台の上にあがったが、何ゆうたかさっぱり分からへん。

なんせ4年以上も、人前で大きな声なぞ、出したことなんかないんや。

 

 雪がちらつく12月25日や。あの時の光景だけは、東映の映画以上やった。

「やったろやないか、日本一の極道になったろうやないかい」

こない腹をくくった。

 

 今考えてみりゃ、ワシもええかげんな男や。

けど、あの提灯見たとき、ワシはそう決めたんや。

ほんまカメレオンや。

 

 

 

●29.父親が死に際に見せた顔

 

 

あれは元山口組系の武闘派の組との抗争中のことだった。ワシの実の兄貴から電話が入った。

「アツム、心して聞け。めったなことではオレはおまえに電話はしない。

家族はみんな、おまえはもう死んだ人間や思うている。

死んだ人間に電話するゆうのも変な話しやが、実は親父が危篤だ。

もう長いことはない。どうするかはおまえが判断しろ」

 

 ワシの親父ゆうたら、

教育者でワシの故郷である奈良の五條市の南宇智村丹原いう村の村長までやったことがある人や。

先代からの材木屋をしっかりと受け継ぎ、ほんまに立派な人やった。

 

 バクチ、女はもちろんのこと酒も飲まん。

ワシなんかガキのころからゴンタもんやったが、親父に一度も殴られた記憶がない。

兄貴はこの親父によく似ておって大学をでて学校の先生になり、

そのあとで生命保険会社にスカウトされた堅物や。

 

 親父が危篤と聞いても、普通のワシやったら気にもかけんかったやろう。

ヤクザやるゆうことは実の親と縁を切ることや。ワシかてそのくらい覚悟のうえで極道になった。

けどそん時のワシはちいと違った。

あの元山口組系の組と事を構え、死んだるゆうて、目のまわりに隈をつくってピリピリしておった。

いうてみれば魔がさしたんやろう。

 

 

ワシ、ふらふらと実家に行った。親父はもう虫の息やった。

お袋や、兄妹、親戚、村の有力者、材木屋の番頭なんかが家に詰めておった。

兄貴はワシの顔を見るなり、ちょっとだけ戸惑った表情をみせたが、何も言わずに、

「上がれや」とゆうた。

 

 ワシ、親父が病臥しとる座敷に通された。ガキのころよく悪さしてかけずり回った部屋や。

家のかすかな匂いも、懐かしいゆうか、ワシの記憶にある匂いや。

親父のまわりには、お医者さんと看護婦さん、それにお袋、姉や伯父連中がいた。

ワシは兄貴の背中に隠れるようにして、でかい体を縮めながら正座した。

 

 最後に会ったのはいつか。15年か20年前か。それさえ思い出せん。

シワクチャになった親父の顔は穏やかな表情をしている。病のせいか、体全体が小さくなったようや。

 

 お医者さんの聴診器が心細そうに、親父の最後の心音を拾っている。もう意識はないやろう。

お袋が親父の耳に顔を近づけて言うた。「お父さん、アツムですよ」とその瞬間や。

親父が目を見開き、顔をこちらに向けた。ワシ必死になって兄貴の肩に顔を隠した。

けど親父はワシの顔を見逃さない。

 

 すごい形相や。ワシを睨みつけた。こんな怖い親父の顔は、ワシ生まれて始めて見た。

「ご臨終です」医者がポツリと言いよった。

 

 

気性の激しいお袋の心づかい

 

一度は、ヤクザから足を洗おうと決心したが、やはり、やめることは簡単にはできんもんや。

結局、諏訪組の本家の若い衆になり、また山本組を構えた。

直参のワシの若い衆も50〜60人に増えよった。ここでまた苦労したのが金や。

 

 淡路会におったときも金では苦労したが、

なんやかんやゆうても親分である淡路会の会長が面倒見てくれた。

それに淡路の町にはワシのファンもようけいた。小遣いには不自由せんかった。

覚醒剤はアカン。女で飯食うのはアカン。こないゆうとるから、若い者もシノギづらいゆうてくる。

 

 そのころからヤクザ社会の流れが急速に変わってきた。

義理や人情ゆうても銭がないことには話にならん。

ヤクザ組織も次第に企業化されるゆうか、

いくらケンカが強くてもだれも認めてくれんどころか、迷惑がられる時世になってしもうた。

 

 ある時、どうしても2000万円が必要になった。いくらかき集めても、あと300万円足らん。

ワシ、恥を忍んで実家のお袋に、金の無心に行ったんや。

 

 ワシのお袋ゆうのは親父と正反対の性格で、気性の激しいおなごや。

北海道のお寺の娘に生まれて、道産子娘特有の面倒見のよさゆうか、男勝りの性格や。

 

 

かつて、うちらの村に、ある新興宗教が入ってきた。

ここはえらい過激で、仏壇を焼き払ったり、先祖の墓を掘り起こしたりしよる。

これは許せんゆうて、一人でその新興宗教の会合に乗り込み、抗議し説教した武勇伝があるくらいや。

 

 そしてお袋は機会あるごとに、

「アツムがあないして、ヤクザになってしまってのは、自分の因果や」

ゆうていつも仏壇に手を合わしていたとゆう。

 

 ワシは深夜に実家の敷居をまたぎ、金を無心した。すると、お袋はほんまに辛そうにこないゆうた。

「情けない。ヤクザゆうても、

ちゃんと一家を持って、親分といわれとる男がなんで300万円ぐらいの金のことで来るんや。

1〜2億円の金がないんやったら分かる。そないな子に育てた記憶はない」

ワシは黙って俯いとるしかない。

 

 「まあええ。今夜はもう遅い。床をひいてやるから寝ていけ。

ただし、お日さまの昇る前にこっそりと出ていけ。誰にも顔を見せんとな。誰にも挨拶せんとな。

おまえにはそれが一番、似合うとる」

 

 実のお袋にこないゆわれて、こんな情けないことはない。

翌朝、コケコッコーも鳴いとらんうちに、こそこそと抜け出そうと、起きた。

そないしたら、ワシの枕もとに、きっちりと300万円が置かれておった。

 

 ワシは手を合わせてその金を懐に入れて、お袋との約束通り、

音も立てずに忍び足で背中を丸めて実家を出てきたんや。

 

 

●30.義理と人情の板挟み

 

 

ヤクザ社会には、一宿一飯の恩義ゆう言葉がある。

義理、人情ゆう言葉と同じように何かというと、使われるが、

この言葉の本当の意味での使われ方は、辛いもんなんや。

なんせこの言葉の使い方ひとつで、命のやり取りをすることもある。

 

 たとえば、ワシは、ウチの組の若い衆には、たとえワシの兄弟分でも、なるべく世話になるな、

飯もご馳走になるな、小遣いも貰うなとゆうてきた。

 

 ワシの兄弟ゆうたら、若い衆からみたらオジキにあたる。

なんでオジキの世話になるなというと、一度でも世話になったら恩義というやつがついてまわる。

そないするとどうや。もし万が一にでも、ワシとその兄弟分の間に、いさかいごとでも起きたら、

ワシの若い衆は時と場合によっては、ワシのためにオジキを敵にまわさないかん。

 

 若い衆にとって親分のいうことは絶対や。かといってオジキにも恩義がある。

ここが辛いところや。義理と人情の板挟みちゅうこっちゃ。

ヤクザ、やっておって何が辛いかというと、この人間関係が、一番しんどい。

特に恩義を土足で踏みにじらにゃいかん場合がある。

 

ワシも、こんなことがあった。

ワシの親分の淡路会の会長が、兄弟分と一緒にある仕事をやった。

親分の兄弟ゆうたら、本家の若い衆や。

しかも、組のナンバー2か3で、ワシの親分より格は一枚も二枚も上の人や。

 

 ある日、ウチの親分とそのオジキが一緒に仕事に出掛けて、同じ飛行機で帰って来よるゆう。

ワシは兄弟分と若い衆連れて、飛行場まで迎えにいった。

 

 タラップから降りてくる親分の顔を一目見るなり、ワシらはピーンときた。

親分は明らかに不機嫌な顔をしている。オジキと何かあったと、はっきりと顔にかいてある。

 

 「ごくろうさんです。お帰りやす」とゆうて、ワシは親分の側に寄り添うようについた。

オジキのほうにはオジキの若い衆が迎えにきとる。

向こうは向こうでオジキをガードするように囲みよった。なんやいつもと違う雰囲気が流れよる。

 

 一緒に乗り込んだ車の中で「親分なんぞありました」

とワシが訪ねると、親分は身震いしながら、ワシの手をしっかりと握りしめ、

「やめとけ」「やめとけ」と二度、念を押してゆうた。

 

 ヤクザの社会で、親分が二度「やめとけ」ゆうたら「やれ」ゆう意味や。

これ以上親分に聞くことはない。

 

 

ワシは独自に調べた。

するとワシの親分が、そのオジキにメンツを潰されたうえ、ヘタ打たされたことが分かった。

こうなったら、本家の人間であろうが、オジキであろうが、親分をこけにさらす奴は絶対に辛抱できん。

 

 

親分のために、大仕事

 

親分のためや。

たとえ本家の人間であろうが、ワシがどんなに尊敬しているオジキであろうが、やるしかない。

けど行くからには腹をくくるしかない。

 

 ワシ、珍しく明るいうちに京都の家に帰った。

女房に、「風呂わかせ、サラの下着用意せい」とゆうて、体を清めた。

そないして、お稲荷さんにもロウソクともして、柏手をうった。

 

 「今回は、うまくいっても、刑務所に10年は行かなならん。ヘタ打つと死ぬことになるやろう。

けど行くんやったら寝込みがええやろう」

こないなことを考えながら、まだちっこい娘二人を抱き締めた。

 

 「不憫な子や。いっそのこと絞め殺したった方が、こいつらのためちゃうか」

ワシそんなことまで考えながら、そうとうきつく抱いてしもうたんやろう。子供が痛いゆうて泣きよる。

それで、我に返ったぐらいや。

 

 

女房も何か感じたやろう。けど何もゆうてこない。

当たり前や。何かゆえばワシにド突かれるのがオチや。

 

 この「オジキ襲撃」は、ワシの兄貴分と一緒にやる腹づもりやった。

兄貴分との待ち合わせの場所に行った。

 

 けど約束の時間が1時間過ぎても、兄貴分の姿は見えない。

腹のベルトに差し込んだ38口径のリボルバーの拳銃がだんだん冷たくなってきよる。

そのせいか下腹部がやけに重たい。何度も尿意をもよおした。

 

 兄貴分はついに現れない。あとで聞いた話やが、そいつは元気な子供を無理矢理病気にして、

救急車を呼び付けて病院へ行ったという。なんや頭がええ。できたらワシもそないしたかった。

けど今まで、誰もワシにそないなことは教えてくれん。

ワシが教わった極道教育の中にはそんなことはひとつもなかった。

 

 ワシが教わったには、ただ闇雲に、

「行け!何があっても行け!」ということだけや。

 

 しゃあない。ワシひとりでオジキの家に行った。オジキの家の前に着いたのは午前2時ごろやった。

けどオジキの家の前を行ったり来たりや。近くに駐車場がある。そのかげでハジキを確かめる。

 

 

6連発式の弾装にはきっちりと実弾が5発入っとる。

ジャンパーのポケットには予備のタマが20発入っとる。

手のぬくもりで、冷たいはずの実弾が汗ばんでいる。

また、しょんべんがしたくなった。けどもう水滴もたれてこない。

チンチンが手で握れんほど小さくなっとる。

 

 煙草をくわえる。もう何本目や。もう一度オジキの家の方へ踵を返す。けどまた通りすぎた。

これから襲撃するオジキのことをまた考える。ワシから見たら物も言えん人や。

ヤクザの手本みたいな人や。いくつかの武勇伝も聞いとる。憧れておった人や。

 

 大仕事や。親分のためや。

「オレが死ぬか、オジキのタマを取るか」

もう煙草もない。ちびるしょんべんもない。

東の空が明るくなり始めてきた。もうこれ以上、周囲をウロチョロはできん。

 

 

 

●31.「オジキ襲撃」で知ったヤクザの器量

 

 

「夜分ごめんください。ワタシ、淡路会の山本いいます」

やっとの思いで、ワシはオジキの家の敷居をまたいだ。何度かの声で、姐さんが2階からおりてくる。

オジキは寝室ではなく1階の応接間で寝ておった。

 

 「夜分遅くすいません」

ワシ、靴を脱ぐのも忘れて上がりこみ、すでに右手にはハジキを握っておった。

多分、顔に血の気はなかったやろう。口も渇いてカラカラや。

 

 オジキも姐さんもすでに事情は飲み込んでいた。ワシは右手のハジキが気になってしょうがない。

「山本さん、かんにんしてやって」と言いながら姐さんがワシの膝元に両の手をついた。

ワシは必死になってソファにいるガウン姿のオジキを見据えた。

銃口はオジキの心臓を確実にとらえておった。

 

 その時や、オジキはワシの親分の名前を出してこないゆうた。

「トシちゃんは、ええ若い衆もったもんや」

こん時、こない言われないで「なんじゃ」とか「待たんかい」言われたら、

ワシは確実にハジキぶっ放したやろう。けど、この一言で一瞬我に返ったんや。

こんな場面でこんな言葉をゆうとは、さすがは本家の大幹部や。キャリアが違う。

 

「オレのタマ取りにきたんなら、やる。あわてることはない」

オジキはこないゆうて、煙草をくわえ火を付けようとした。

だが、オジキの手はぶるぶると震え、よう火がつかん。煙草とライターの火が接触せんのや。

 

 「まあ、道具おけや」こないゆうオジキの声も上ずっておった。

ワシは物を言おうと思っても喉がカラカラで声にならん。ワシの手からハジキは離れない。

実は置こうと思ったが、手が指が、ハジキに食い込んでとれんのや。

もう一方の手でしゃちこばった指を一本一本ほぐしてやっとハジキがワシの手から離れた。

 

 これを見て、オジキは突然、床に両の手をついた。

「ワシが悪かった。どんなことでもするから命だけは置いてやってくれ。

トシちゃんに電話さしてくれ。どんな格好でもつける」

 

 オジキは震える手で親分の家に電話した。ワシは一瞬でも目を離さない。

もしオジキがなんやしようとしたら、ワシの目の前にあるチャカをブチ込むつもりや。

オジキは親分に事情を説明しとる。

 

 ワシに受話器を取れゆう。親分の声が聞こえる。泣き声や。

「アツム、すまんのう。何もせんと帰ってきてくれ」ワシ、親分に従った。

オジキの見ている前で、ゆっくりとハジキを懐にしまいこんだ。

オジキはワシと一緒に親分の家に行くゆう。

 

 

親分は家で待っておった。ワシ、床の間に両の手をついて親分に謝った。

「親分、出過ぎたマネしてすいません」

親分はワシには鷹揚に頷いた。と同時に、本来なら兄貴格のオジキを、

「オイ!」と急に呼び捨てにした。

オジキは黙って頷き、「すまん、すべてワシが悪かった」と詫びを入れてくれた。

これがヤクザ社会というもんや。

 

 こんなことがあった数日後、当時、淡路会の副会長をしとったワシの兄貴分から、

「ちょっと付き合えや」といわれ、ある喫茶店まで行った。

そしたら、先日のオジキが来とった。

 

 その時の兄貴分の口調は、本来なら「本家のオジキ」と遠慮して呼ばなければならないはずなのに、

「兄貴!」とオジキをいかにも馴れ馴れしく呼ぶんや。

ワシはびっくりした。

 

 次にもっとびっくりした。兄貴分は分厚い紙封筒を取り出して、

「兄貴、これちょっと預かっといてくれまへんか。ウチに置いとってもしょうがおまへんのや」

ポーンと出した紙封筒をみたら、500万円もあったやろう。

その金額は、先日のワシの「オジキ襲撃」で、オジキが親分に詫びとして届けた金額と同額や。

 

オジキはその金を手にして、「うん」とまるでまんじゅうを一口に飲み込んだように、頷いた。

そこでワシの兄貴分の言葉や。

「兄貴、うちの親分は井の中の蛙や。世間を知りませんのや。

今後共ひとつよろしく頼んまっさ。なんとか本家の頭にさしとうまんねん」

 

 これや、こっれがヤクザのほんまもんの器量や。

ワシにはこんなマネできん。知恵もない。これもヤクザなんや。

 

 

苦しさでついに、昔の友人のところに

 

 本家の諏訪組の若い衆になり、山本組の若い衆も60人からに増えた。

そうこうしとると、本家の総裁が亡くなった。二代目をつくらなならん。

先輩や兄弟分と話し合って、以前、本家の若い者頭をやっとった人に二代目を継いでもらう事になった。

 

 しかし新しい組織作りゆうたら大変なこっちゃ。なんといっても金がかかる。

ワシらはもう組の柱としてやっていかなならん。

発言力もあったが、なんか嫌なことがあったら、それも率先してやらなならん。

 

 

今のヤクザ社会や、金は力なりや。そうなると、シノギの下手なワシには苦しゅうなってきた。

ワシははんまにシノギがへたやった。金銭感覚がまったくないんや。

淡路会の会長がおったときは、金がなくても「なんや金か。あらへん」ゆうようなもんでやってこれた。

それかて親分が面倒見てくれたからや。

 

 その頃、ついたあだ名が、「居直りの熊」や。借金して、追い込みにこられると、

「すんまへん、すんまへん」と頭を下げる。とにかく低姿勢や。

そないしておると、相手が調子に乗ってワシのことを呼び捨てにする。こないなったらこっちのもんや。

 

 「なんや、あんた今、ワシのこと呼び捨てにしましたな。

ワシは借金があっても、あんたに呼び捨てにされる覚えはないでぇ」

ちゅうもんで、メチャクチャな理屈つけて開き直る。これが「居直りの熊」や。

 

 だが、本家の若い衆になり、かつての兄貴分が二代目になったら「居直りの熊」だけではようすまん。

それでどうしたかというと昔の浪商時代の野球仲間にまで迷惑をかけることになってしまったんや。

 

 

ワシはヤクザやっておったから、彼らに迷惑かけたらあかんと肝に銘じておった。

野球仲間は団結力が強くて、社会人になっても、なにかあると集まり、誰ぞが困っているのを聞いたら、

みんなで集まって助ける。誰かにめでたいことがあれば、すぐに祝いをする。こういう連中や。

 

 浪商野球部の同窓生で高志会ゆうのを作っておった。

浪商野球部には400人からの新入生が入部した。けど同級生で最後まで残ったのは26人や。

ワシらは十一期生やった。高校の「高」に、十一の下に心を付けて「志」、これで高志会や。

ワシもあとでヤクザやめてこの高志会に入れてもろうた。

 

 こういう連中やからこそワシは迷惑かけられん思うてきた。

実際の話、ワシが刑務所に入っとる時も、女房や娘のために色々な世話を焼いてくれたのも彼らや。

 

 「ヤクザになったアツムにはないもする気はない。

ワシらが、女房や子供の世話するのは、ヤクザになったアツムではなく、

ワシらのアツムの女房であり子供だからや」とこないゆうてくれた友達もおった。

 

 

仲良しやったハリ(張本勲)も実業家になった谷本勲も

ワシの知らんとこでほんまに色々と気をつかってくれた。

 

 今、考えるとワシも相当焼きが回っておったんやろう。

あんだけ昔の友人に迷惑かけてはあかんと思っておったのに、とうとう親友の谷本のところや、

接骨院の院長してる柿田正義、大手旅行代理店の偉いさんになった仁井幸世、

先輩の肘井康治らに金策に行ってしもうた。

 

 ある時、谷本のところへ行った。

谷本は嫌な顔をするどころか、ワシの手を握りしめて、自分が経営しとる会社の会長室に通してくれた。

過去に谷本は、ワシが出所するたびに、なんか商売せぇと、数えきれんほどの金を援助してくれた。

 

 「すまんがな、また、金を都合してほしいんや」

ワシは挨拶もそこそこにそないゆうた。谷本がワシを暖かく迎えてくれればくれるほど、

ワシは肝心な用件を切り出すことができなくなると思うたからや。

 

 谷本は不躾な来訪者に対して嫌な顔ひとつせず、にこにこ笑いながらこないゆうた。

「アッちゃんと僕は親友やないか。なんぼヤクザしとっても関係ない。

アッちゃんが、本気で更正するんやったら、ヤクザやめるんやったら、

僕はなんぼでもお金は出すし、協力も惜しまへん。

けど、バクチしたり、拳銃買ったり、ケンカ道具集めるための金だけは、絶対、出さん」

 

 

 

 

●32.「もう一度、絵を描いてみたらどうじゃ」

 

 

「そうやのぅ、おまえも会社やっとるしなぁ。300人からの社員の面倒見なならんしな」

ワシはこないゆうた。内心はがっかりや。

 

 浪商の野球部時代の友人で、実業家になった谷本勲のとこへ金策に行ったが、失敗や。

谷本の返答は友情あふれておったが、どうにもならん。

「悪う思わんといてや。オレ、アッちゃんのこと好きやしな」

 

 ほんまに辛そうな顔して、目に涙浮かべて、オレの手を力一杯握りながらそうゆうてくれた。

その頃、谷本は美術品に興味を持っておって、何十億ちゅう金を注ぎ込んで、収集しておったらしい。

 

 「アッちゃん。そないなことより、一度、ゆっくりとワシの集めた美術品を見てみい。

今の日本は平和や。これから、必ず文化の時代が来る。それもほんまもんの文化の時代や。

銭儲けのための文化やないで。オレも商売やって金儲けさせてもらった。

その恩返しに、いつか大阪に日本一の、どでかい美術館を建てるつもりや。

そういや、アッちゃんも昔は絵が好きやったやないか」

 

 ワシはそんなことすっかり忘れておった。

谷本に、ゴッホの絵や、モネの絵やといわれ、見せてもらっても気になるのは何十億円ゆう値段だけや。

 

「そうやな、絵ちゅうもんもええもんや」

とワシゆうたが、なにがええもんか。ええのは値段だけや。困っとるのは借金や。

 

 「アッちゃん。浪商の時、絵を描いて賞もらったこともあったやないか」

谷本はえらい古いことをワシに思い出させた。

浪商の野球部に入ったんはええが、ゴンタばっかりやっとるから、すぐに休部にされてしもうた。

 

 暇をもてあまして、放課後は町に出掛けてはケンカするか、

他の部活に顔を出しては嫌がらせをしておった。ある時、美術部の教室をのぞいた。

「おいこら!貸せ!」ゆうもんで、キャンバスを占領して、

「なんでもええ、絵の具出さんかい。筆貸さんかい」とゆうて勝手になんや油絵を描いた。

 

 そないしたら、美術部の顧問の金光成文先生がワシのとこに近づいてきて、

「ほう、山本ええ絵描くやないか。なんやったっら、野球を断念して、この道に進んだらどないや」

とゆうた。けどそんなんは、「あほらし」とゆうもんや。

そん時は絵描きなんて男のやることやないと思ってた。それ以来一度も美術部には行かんかった。

 

 それからしばらくして、ある日の朝礼の時や。

校長が、「山本集君の絵が入選しました」という。

ゴンタやっとるワシが絵を描くなんて誰も想像もできん。

 

ワシかて、人ごとやと思って、

「オイ、オレと同じ名前のヤツがおるんかい」そんとき谷本やハリ(張本勲)が、

「オイ、アツム。やっぱり、おまえのことやないか」とゆうた。

「なんでワシなんや、ぼけ」とゆうたぐらいや。

 

 美術部の金光先生が勝手にワシの悪戯描きした絵を展覧会に応募したんや。

その絵が入選したゆうことを谷本は覚えておったらしい。

「アッちゃん。もう一度、絵を描いてみたらどうじゃ」突然、谷本はそないゆうた。

 

 

事務所で絵を描き始める

 

「絵、描いてみんか」

と浪商の野球部時代の友人で、実業家の谷本勲にいわれ、ワシは組事務所に帰り、何枚か描いてみた。

もちろん絵描きになるなんてことはちいとも考えていなかった。

 

 なんちゅうか、ヤクザやっとるワシが昔の友達と辛うじて負い目を持たずに、接点を持てるゆうか、

共通の話題を見つけたゆうか、そんな気分や。

そんなもんでもなければ、ワシは正面玄関から昔の友人のとこに会いにいけん。

地獄で見た一本の蜘の糸や。

 

初めての絵は水彩画で色紙に描いた。それを持っていったら、谷本が、

「アッちゃん、ええやないか。もう一回本格的に描いてや。これで絵の具買いや」

ゆうて500万円の金を、ポーンとくれよった。

 

 

 

「これはバクチしたり、若い衆にやる金やないぞ」と谷本は念を押した。

ワシ、ほんまゆうとこん時、この500万円の金に困っておった。けどこれは友情の金や。

 

 後ろ髪ひかれる思いで若い衆2〜3人連れて、画材屋に行った。

なんせこっちは一目見ただけでヤクザゆうカッコしとる。

 

 びびっとる店員に、

「オイ、絵を描く道具や絵の具やら全部そろえてくれや。何から何まで全部や。

みな日本一の絵描きが使うとる一流品やで。細かいこと聞くな。とにかく全部そろえてくれや」

こないゆうて谷本から預かった札束を放り投げた。ほんま、ヤクザゆうのは下品で厭な生き物や。

 

こないして、組事務所で絵を描き始めた。

「親分、何してんですか。そんなカッコ悪いこと頼みますからやめて下さい」

と若い衆にこないいわれた。なんせ絵とかそんなの全然興味ない人間ばかりや。

 

 こっちは絵の具だらけになりながら、

「オイ、筆洗うとけ」「その絵の具、片付けとけや」

ゆうて、なんとか3枚ほど油絵を描いて、また谷本とこへ持っていった。

そないしたら、以前に持っていった絵がちゃんとしたどえらい額に入って、

ゴッホやモネの絵の間に飾られている。

 

 

谷本が言う。

「アッちゃん、これ、いい額に入ったやろ。どうや、ちいとも見劣りせんやろう」

ワシ、もうびっくりしたわけや。

「オレの絵もこんなにようなるんかい」ほんまにもう、身震いするくらいや。

「アッちゃん。これ画商に見てもろうたら、えらいええゆうとるで」

 

 田舎の、故郷の絵や。

ヤクザが写生なんてそんなカッコ悪いことはでけん。ガキの頃に見た田舎の景色や。

他の絵を描こう思うてもキャンバスに向こうて筆を持ったら、田舎の絵しか描けん。

 

 次に持ったいった油絵も立派な額におさまった。

ワシまたしてもびっくりや。

「アッちゃん、ここに5億円ゆう値札がついておっても人は信用する。山本集の絵やといわんといたらな」

と大笑いや。谷本がゆうた。

「いっぺん、ほんまもんの個展しようや。

ヤクザの組長の個展いうたら、みんなびっくりしよるで。やりや」

 

 

 

 

●33.昔の友の友情で「足を洗う」

 

 

 「ヤクザの組長の個展」か。

ええやないか、世間の笑いものになったろうやないかい。

ワシこないな気分でとにかく絵を描き始めた。

 

 というても、ワシも組の用事はあるわ、若い衆には嫌がられるし、

みんな寝静まってから、事務所で一人で電気つけてごそごそ描き始めるんや。

なんせ慣れんことやから肩も凝るし、腰も痛い。しまいには腕も上がらなくなってしもうた。

 

 いろんなの描こう思うけど、やっぱり子供の時分に見た田舎の景色ばっかり浮かぶ。

特に夕暮れとか、朝焼けや。

 

 大阪に来て白球を追っておった時も、刑務所に入っていた時も、

西の空が赤うなったら、もう故郷のことが恋しくなる。

 

 人間ちゅうのは汚れれば汚れるはど、心がすさめば、すさむほど、

純な時のことをとにかく思い出すわけや。そんな絵ばっかり、50枚くらいできた。

 

 その絵を、谷本に全部見せたんや。

「アッちゃん、これいけるで」谷本の目は本気やった。

そないして、谷本は一息おいてからワシにこうゆうた。えらい真剣な目やった。

 

 「アッちゃん。切った、ハッタ、義理や、人情やなんてな、高倉健の映画の中だけのことやで。

もう50の年になるんやし、僕たち友達に心配かけんと、安心さしてや。ヤクザやめたらどないや」

 

 

 ワシ、びっくりした。ヤクザやめるなんて考えたこともない。谷本の目が穏やかになった。

「アッちゃん、絵でも描いて世の中になんか残しや。僕がアッちゃんとゆっくりしたい思うても、

肩並べて町も歩かれへん。僕のこと思うてくれるんやったら、本気で考えや」

こう言うと、谷本の目は潤んどった。

 

 これが全身にガーンとこたえた。考えた。

オレの体はもう汚れきっとる。彫りもんも入っとる。前科もある。10本の指さえちゃんとそろっとらん。まして本家では何本かの柱のひとつになっとる。若い衆もおる。

 

 堅気になる、まして絵描きになるなんて、とてつもない問題や。とっても考えられんことや。

まいったなー思うて、そりゃ悩んで悩んで、悩み倒しましたがな。

背中の彫りもんの金太郎さんも熱だして、うんうん唸りだしたぐらいや。

 

 そないして悩んでおったら。

何十年も音沙汰なしやった浪商時代の野球部の友達から次々と連絡が入ってくる。

「谷本から聞いたんや。

アッちゃん、堅気になるんやてな。よく決心したな。あとのことは何も心配すんな」

 

「アッちゃん、命懸けで堅気になれや。

アッちゃんは人より強い男やろう。なんでもでけんことはないやろう」

 

「絵描きになるんや。ごっつい個展開いたる。これがアツムの堅気の第一歩や」

 

なかには「アッちゃん」とゆうてそのあとの言葉が続かずに、わいわい泣きよるやつもおった。

ワシもわいわい泣いてしもうたがな。

 

 

 

終 章

 

「堅気になる。絵描きになる」

このやっかいな決断は、谷本はじめワシの友人たちの友情のたまものやった。

 

 ワシはまず、最初に女房に相談した。

「オレ、ヤクザやめるで」けど、女房は信用せん。

そりゃ、そうやろう。かつて、

「女房、子供捨ててもヤクザはやめん」

と言い切ったワシの性格は女房が一番よく知っとる。

 

 「オレ、ヤクザやめるで」ワシはもう一度言った。

「ワシ、ヤクザやめる…」

あんまりひつこくゆうもんやから、女房もほんまかもしれんと思い始めたのやろう。

 

 「そやけど、ワシ、ヤクザやめてもやっていけるかな、

谷本や柿田が力になってくれるとゆうてるけどもな。これ以上迷惑かけられんし、

これまでも、実の兄弟もしてくれんようなことしてくれたもんな」

ワシ、そんなことをポツリポツリ言ったんや。

 

 女房が言った。

「パパ。死んでもこの恩返しせないかん。パパは強いんやから、やれると思うわ。

世の中にはパパより弱い人でも、大勢、しっかりやってるんやから、パパにできないわけはない」

「そうか」

 

 

ワシは五分の腹づもりはできた。けど後や、後の始末や。これは死ぬ気でやらなならん。

「おい、けどまだ田舎のお袋にだけは聞かすなよ。びっくりしてしもうて、

それがショックで死んだら、これ以上の親不孝はないもんな」

 

 25年間、連れ添うた女房とこれだけ真剣に話したのは、後にも先にもこの時だけや。

ワシはとにかく前向きに考えた。

とにかく、堅気になる、絵描きになる。ほんまもんの前向きや。死ぬことになっても、悔いはない。

 

 こない思うたら、気が楽になった。

諏訪組のなかでも、特に仲良うしとる桜井好孝若頭のところへ行くことにした。

 

 ことの事情を説明した。

若頭は、最近のワシの様子から察していたかのようにこないゆうた。

「これから、一緒に力を合わせてやっていきたかったのに、残念や。

そんなええ友達も、絵を描く才能もあるんやし、オレとは違う。残念でしゃあないけど、やりや」

頭の目には涙が浮いておった。温かい男の涙や。

 

 ワシは頭の前に手をついて、

「えらい、すんません。おおきに。

決して頭の気持ちを無駄にはしません。頭も体を大事にして、日本一の親分になって下さい」

「おおきに、兄弟の分も頑張るわ。これからワシ、親分に電話入れとくさかい」

とゆうて、駅の近くまで送ってもろうた。

 

 それから、ワシは電車に乗って、西宮にある親分の自宅へ行った。

電車の中で、頭の言葉を思い出し、うれしゅうなって、涙がポロポロ出てくる。

恥ずかしいも何もない。前の座席に座っているお客さんの姿さえよう分からん。

 

 

これからや、頭は理解してくれた。残る若い衆のことも保証してくれた。

親分はなんと言うやろう。あれやこれや思いながらワシは電車に揺られた。

 

 諏訪組、二代目組長、有末辰男親分はガウンを羽織って2階から降りてきた。

降りてくるなり大きな声でこないゆうた。

「今、頭から電話もろうた。

けど、アツム、季節の変わり目で頭がおかしくなったんとちゃうか」

 

ワシはきちっと正座して、

「親分、堅気にさしてください。

けじめが必要やったら、指でも手でも足でも、どんなカッコでもつけます。

けど絵を描くためにこの右手だけは残しておいてください」

 

 親分はえらい目でワシを見据えた。ワシも真剣や。一世一代の真剣さや。

「他のすべてのヤツらが堅気になっても、おまえだけは極道を続けると思うた」

親分は一瞬、淋しそうな顔をした。

 

 ワシは必死や。

「必ず日本一の絵描きになってみせます、親分」

「よし、分かった。きっちりと足洗え。盃もきっちりと返してもらおう。けど今の言葉忘れるな。

これはヤクザの親と子の約束じゃない、オレとおまえの男の約束じゃ」

 

 ワシ、次の言葉が出てこん。

ヤクザ社会では親と子の「盃」ゆうのは絶対や。ワシはここでもう一度、真の男の器量を教えられた。

親分だけが持つことのできる、ほんまもんの器量や。帰りぎわに親分はこないゆうてくれた。

 

 

「アツム、絵の個展を開くときは、ワシにも案内状を送ってくれ。

若い衆連れんと、女房と二人きりで見にいかせてもらう。けど会場で、ワシの姿みても挨拶するなよ」

ワシ、もう言葉がない。深く深くお辞儀をしただけや。

 

 そして次は辛い別れや。若い衆になんと言えばええか。

ワシは一ヶ月間、悩んだ末、色々話し合うた。若い衆はワシが堅気になることを許してくれた。

「ワシ、3年間、刑務所に入ったつもりで、死に物狂いでやる。

何の力にもなれんが、辛抱してくれ」

最後に、ワシは初めて若い衆の前で両の手をついて詫びを入れたんや。

 

 ワシがヤクザやっておって築いたすべてのもの、

義理、人情、憎愛、シノギ、面子、すべてを捨て、ワシは裸一貫になった。

残されたものは、前科、刺青、なくなった2本の小指とすべて負の遺産や。

 

 ヤクザとの決別。ワシ、考えた。悪いことばかりやってきた。

ワシの知るところ知らんところ、大勢の人の恨みを買うてきたやろう。

無数の恨みがワシに「地獄に落ちろ」と囁いておる。

ワシ、そのすべての業と正面から向かい合って生きていかなならん。

苦しゅうなった。息ができん。押しつぶされる。

 

 

 

ワシ、筆をとった。お地蔵さんの絵を描いた。

むやみに描いた。ただ一心に描いた。ワシにできることは絵を描くことだけや。なんちゅう辛いことや。

こないして描きとめた絵が100枚になった時、

ワシの友人たちはえらいごつい最初の個展を開いてくれた。しかもすべての絵が完売や。

 

 後戻りはもうでけん。

ワシの絵がええ絵なのか、どうなのかほんまゆうたらワシはまったく分からん。

物珍しさが優先して買うてくれる人も多いやろう。けど、これかて感謝せなならん。

 

 ワシ、もう野心も物欲もない。ただたったひとつだけ夢がある。

日本全国の家にワシの絵が飾られる。その絵を見た人が辛くなったり、挫けそうになった時、

ワシの絵を見て、

「あんな人でもできたんや」と思うて自信と勇気を取り戻す。こないな絵を描きたいんや。

 

ワシはやるで、絶対にやる。

ワシは学問もない、師と仰ぐ人もいない。

この汚れ切ったかもしれん五体のすべてを絵筆にかけるんや。

必ず、日本一の絵描きになったるんや。

なれるはずや、これほどの大勢の友の温情がワシを応援してくれとるんや。

ワシの師は数えきれんほどの友情や。日本一になれんわけがない。

 

                                 合掌

2020.11.30 Monday