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●5.野球の好きな女の子のために野球少年に

 殴り込みの話ばかりが続いたが、ワシはもともと野球少年やったんや。
野球を始めたのは、中学の時やった。奈良県五條市の田舎育ちで、
バットなんか握ったこともなかった。
中学で好きな女の子ができて、その子が野球が好きやった。
それで野球部に入った。根が単純なんや。

 好きになった子のお父さんは画家やった。
その子は絵が上手で、頭が良くて、いつもクラスで一番やった。
単純ついでや、ワシも絵を描くようになった。
いつも二人で絵の賞をもらう。それがうれしくてうれしくて、ほんまに純やった。

 大人になって極道の道に入ったが、いま画家をやっとるのも、
その当時の潜在的な記憶があったからかもしれん。

 野球部じゃ、ワシは体が大きかったからピッチャーになった。
コントロールは悪かったが、スピードはめちゃめちゃ速い。
けど、とにかくストライクが取れん。それでオーバースローから、サイドスローに変えた。
これでどうにか試合で放れるようになった。
試合になったら、相手は三振かフォアボールや。相手はバットにもかすらん。県大会にも行った。

それで、将来はプロ野球の選手になったろうと思い、
親兄弟の反対を押し切って、大阪の浪商に入学したんや。

 当時の浪商ゆうたら全盛期や。甲子園では何度も優勝しとったし、
浪商からは坂崎 和彦(巨人)や山本 八郎(東映)と憧れのプロ選手がたくさん出ていた。
浪商に入れば甲子園に行ける。そしてプロ野球選手になれる。
そないしたら、大好きな彼女もオレのことを気に掛けてくれるやろう、
ひょっとすると結婚できるかもしれん。こんな夢を描いておった。

 大阪に初めて行った時、女の人が、マニキュアつけてハイヒール履いて歩いているのを見た。
あんまり珍しいから後をくっついて歩いとったら、お巡りさんに怒られたことがあった。
そんな純情な時がワシにもあったんや。

 憧れの浪商に入ってはみたものの、新入生400人のほとんどが野球部に入っとる。
レギュラーになるどころか、新入生だけで40チームはできる。
そやから、新入生はバットはおろおか、ボールにも触らせてもらえへん。
毎日、淀川のランニングや。それで上級生がちょっとでも気にいらんことがあれば、
バットでケツを思いっきりひっぱたかれる。「ケツバン」や。
脳天までズーンと響く痛さや。浪商名物のシゴキやな。
ケツがはれあがって、銭湯行っても前は隠さず、手拭いで後を隠して風呂に入ってたくらいや。

 厳しい練習の中、淀川べりを走っとって、夕焼けで西の空が赤うなってきたら、
やっぱり、田舎が恋しゅうなる。まだ15の子供や。今の言葉で言うたらホームシックやな。
極道になって刑務所に入った時もそうやった。何度か懲罰房に入れられたこともある。
小さな窓からイワシ雲が見えたり、真っ赤な夕日が差し込んでくると、故郷を思い出す。
夢見るのもガキのころのことや。

 40歳になってヤクザの親分しておった時も、
やめて絵を描いてる今でも夢の中に出てくる女の子はセーラー服姿なんや。

 けど、ヤクザいうのは、そんなカッコのええもんと違う。見栄と虚勢の世界や。
鬼みたいな顔しとっても、心の中では虚しさと侘びしさでいつも泣いている。
一年前から画家として絵を描いとるが、どうしても故郷の風景が頭に浮かぶ。
桜の花が一斉に咲き、山中が桜に埋め尽くされ、秋には紅葉する山を思い浮かべると、
たまらない気持ちになる。ワシの絵の赤い色使いを、ある人は、「血の色のようだ」と言った。
そうかもしれん。カッコよすぎるが、ワシは自分の血を流すつもりで絵を描いとるのや。

●6.ハリ(張本) との出会い

 シゴキの浪商で、ものすごいヤツに出会った。
野球部の新入生の中に、今は野球評論家の張本勲(元巨人軍)がおったんや。
きつい練習が終わって、夜、銭湯にいったら、ごっついガタイの男が風呂に入っとった。
「どっかで見たヤツやなぁ」とワシが思い出そうとしたら、そいつもワシを見て、同じ様な顔しよる。
そや、浪商野球部の同級生やないか。
野球部ゆうても新入生だけで400人もおるから名前が分からへんのや。
「おまえ、浪商野球部のもんやないか。オレは山本集ゆうんや」
「オレは張本勲だ。広島から来た」それがハリとの出会いやった。
それから、お互いに「練習つらいのぉ」という話になった。銭湯帰りに、ハリの下宿に寄った。
そないしたら机の上にアルミの弁当箱があった。遅い夕飯や。
弁当のおかずみたら、かまぼこの焼いたやつと梅干しだけというわびしいもんやった。

 ワシの方は、姉が京都の大学行っとったんで、奈良で材木屋をやっとるオヤジが、
ワシと姉のために浪商近くの淡路の小さい家を買うてくれた。
それで姉と二人で住んどった。考えてみれば恵まれた生活や。

 でも、ハリは想像もつかんくらい苦労しとった。早い話が貧しかったんや。
家からの仕送りゆうても、ハリの兄さんかなんかが給料から送ってくれていたわけや。
だから、ハリは下宿代払うたらほとんど残らん。
15、16歳の野球やっとる者が、三度のメシを腹いっぱい食うても、すぐに腹が減る。
ハリはいつも腹減らしとったんとちゃうやろか。

 それで、ワシの家の2階が空いとったから「なんやったらウチへ来いや」
ゆうて、それから一緒に住むようになった。
一度、実家の姉からハリに来た手紙をこっそり見てしもうたことがある。そしたら、
「私らは銭湯へ行くのも節約して、お前が立派なプロ野球選手になる日を楽しみにしている」と、
こないなことが書いてある。ワシも子供心に涙流しましたわ。

 でもハリの練習はすごかった。
家へ帰った後も毎日、バットの素振り500回やるノルマを決めた。
野球やった人なら分かるやろうが、100回でもきつい。
それを500回やる。それが終わると体力的にも精いっぱいなのに、
ハリは、「まだ、やろう」と言う。
「まだやろうて、約束が違うやなあいけ!」ワシがヘトヘトになって布団に潜り込んでも、
ハリはまだバットを振り続けるんや。布団の中に入ったワシの耳に、
「ビューン、ビューン」というハリのバットの音が聞こえてくる。

 やがて、ワシの隣の布団にハリがそっと入ってくるが、手のひらはズルむけや。
手を握ってられへんから、手を開いたまま夜風に当てて冷やしながら寝とる。
「すごいヤツがおるなあ。こいつの根性にはさすがのワシも負けや」と思うたがな。
ハリのハングリー精神は、さすが

野球もそやろうけど、なんでも才能だけやったらアカン。
よく「熱心や」ゆうけど、それでもアカン。
人に狂人やゆわれるぐらいでないとアカン。死に物狂いでやらんと、なんでも一流になれんのや。
それをワシに教えてくれたのが、ハリ(張本勲)やった。

 ハリの実力は1年の時からずば抜けておった。浪商のレギュラーなんか問題にならん。
甲子園にも出た先輩ピッチャー相手に4打席4ホーマーしたほどや。

 しかも実力だけじゃない。人の3倍は練習をやる。
このハングリー精神には、さすがのワシもかなわん思うた。


 ハリとワシの前にリンゴが1個あった。食いたい盛りや。一人で食いたい思いますがな。
普通は「まあ、半分ずつにするか」と分けるが、
ハリゆうのは「自分が全部もろうてええか」と断るやいなや、まるごと1個食うてまう。
なんちゅうヤツやと思いますやろ。でも、違うてた。
ハリはプロ野球選手になる目標のためには、今このリンゴを食うんやゆうて食ってしまう。
他人からどう思われようが、そんなもん気にせんのや。

 一流になるには、そのくらいの決意が必要ゆうことや。
一流になれんヤツほど他人に気ぃ使う。お世辞も言いよる。
本物の一流になる人間は、他人なんぞに気ぃ使うてる間がない。
そして、自分が一流になってから他人の面倒見るんや。中途半端はアカン。
中途半端じゃ他人の面倒も見れん。これが、一流と二流の差や。

 浪商を卒業して、ハリは当時の東映フライヤーズに入団して念願通りプロ野球の選手になった。
ワシは不良しとって、しまいには極道の道に足を突っ込んでしまった。が、
ハリはいつもワシのことを心配してくれとった。

 いまワシは極道から足を洗って、絵を描いとる。それを知ってハリはなにくれとなく
ワシが画家になったのを宣伝してくれる。ありがたいこっちゃ。
あの時の1個のリンゴは惜しかったが、今のハリの言葉はリンゴ100個や200個できかんほどや。

 浪商時代の野球友達は結束が強い。
ワシに絵を描くように勧めてくれた実業家の谷本勲も浪商野球部の同級生だった。
「なあ、アツム、いつまで極道やっとるんや。
昔から絵が上手やったんやから、絵でも描いたらどうやねん」
この言葉で、ワシは絵を描き始めたんや。

 そんなワシらに一大事が起きた。浪商野球部のシゴキが社会問題になったんや。
その上、学校サボって街でケンカした選手が補導される事件まで起きた。
ワシらはみんな親兄弟の反対押し切って、
「甲子園に出たい」「プロ野球選手になりたい」
と思うて、浪商に来とる人間ばっかりや。それなのに、
シゴキ問題に野球部員のケンカがかさなって1年間の公式試合出場停止になってしもうたんや。

●7.出場停止に自殺まで考える

「甲子園に出れんのやったら、死のう!」
ハリ(張本勲)とそう言い合って、深夜の淀川べりを歩いた。
ワシもハリも甲子園に出たい一心で、親兄弟の反対を押し切って浪商に来て、
シゴキの練習に耐えてきた。
それが突然、1年間の公式試合出場停止や。
目の前が真っ暗になった。生まれて初めての大ショックや。
「死のう!」
ゆうたんはワシの方からか、ハリの方やったか忘れてしもうたが、ほんまにそう思い込んだ。
それでや、ユニホームのポケットに淀川の河原の石を目いっぱい詰め込んで、
そのまま淀川に飛び込もう言い合った。
今、思うと笑い話にもならん。
けど、ひょっとするとワシもハリもあん時で死んでしもうたかもしれん。
今でこそ殺しても死なんような顔してますけどな。

 ところが、自転車で巡回しとるお巡りさんに見つかってしもうた。
「コラ!お前ら何しとる!」ちゅうんですわ。
なんか、高校生がゴンタしとる思うたのかもしれない。
それでお巡りさんに泣きながら事情話した。
そのお巡りさんも九州出身のエエ人で、屋台のラーメンごちそうしてくれながら、
「ワシも田舎から出てきて、この仕事に入ったけど、いやなことばかりや」
と、人生観とやらを論してくれた。そして、家まで送り帰してくれた。
 家に帰っても口惜しくて涙が止まらん。
四畳半の畳かきむしって、10本の指のツメから血が出るほど泣きましたわ。

 ワシやハリは、浪商野球部の1年生の中から10人ほど選ばれたうちに入っていて、
たまたまバッティングやノックもさしてもらえる有望選手だった。
当時の中島春雄監督にも気に入られてた。
ところが浪商が1年間の出場停止くろうて、監督が代わった。
新監督は真面目すぎるほどの人や。そうすると監督にも好みゆうもんがある。
なんとなくワシやハリはのけもんにされるようになってしもうた。
大阪の人間は口だけは達者や。
ハリもワシも田舎もんやから、ようしゃべられへん。口が出る前に手や足が先に出てしまう。

 やっと2年生になった。
今までさんざん上級生にシゴかれてきたから、この時とばかりに新入生をシゴいた。
ワシなんか先頭たってシゴいた。
ところが、新監督はこのシゴキを怖がって、すぐに、「やめとけ」と言う。ワシかて素直に聞かん。
「なんでや。シゴキが浪商野球の伝統やないかい。ワシらかて加減してシゴいとるわ」
新しい監督に何か言われると監督に食ってかかる。
野球のことやったら、中島監督のところへ相談に行く。
新監督にしてみれば、頭越しにされた思いますやろう。で、余計、目ェつけられる。
「そんなら休部や」
「オオ、上等や」
どうせ甲子園に出られんのや。かまへん。
そないしているうちに、ワシは練習行かんようなる。時間と体力持て余す。
街へ出てヨソの人間とケンカする。
こないしてワシのゴンタが始まった。
けど、そんな時でもハリは一人で黙々と練習してましたがな。
甲子園出場をスタンドで応援

 浪商の野球部が1年間公式試合出場停止になって、ワシのゴンタが始まった。
どうせ試合はできんのやから、と練習サボって街に出る。
なんせ目立つから、不良しとる連中にガン飛ばされる。
すぐケンカや。
体力を持て余しとるから、必ず勝つ。
それで自信ができて、またケンカしとうなる。相手はヤクザでも大学生でもかまわん。
 そのうち ″浪商のヤマモト・アツム″ゆうたら、
大阪のゴンタの世界では知らんもんはおらんようになった。

 ハリ(張本勲)もケンカは強かったが、やっぱりあいつの頭の中には野球しかなかった。
ワシらが3年生になったとき、やっと出場停止が解けた
夏の大会に備えて、また猛練習を始めた。ともあれ、あこがれの甲子園や。

 ところが、ハリとワシは突然、監督に呼び出され、
「チームから外す」言われてしもうた。
「なんでや!」
ハリもワシも食ってかかった。しかし、もう休部扱いされてしもうとる。
ハリが暴力事件を起こしたちゅう情報が流されたが、これはデタラメや。

 今になって考えてみれば、ワシはゴンタやって停学にもなっとる。
ワシとハリは大の親友やったし、一緒にワシの家に住んどる。
それで、ハリも同じように見られてしもうたと思う。
シゴキと部員のケンカが原因で1年間の出場停止が解けた直後に、
またワシがケンカでもしたら、また出場停止や。危険分子を遠ざけておこう思うたのやろう。

 その年、浪商は大阪の地区大会で優勝して、甲子園に出場した。
昭和33年のことや。ワシとハリも涙流しながらスタンドで応援しとったが、
1回戦で魚津高校に2対0で負けてしもうた。
だれかれなく、
「ハリがいたら負けんかった。優勝しとったかもしれん」とゆうとった。
確かにハリが出場しとったら、ほんまにホームランの記録作っとったやろう。
高校生のレベルは超えとった。
こないして、ワシらの浪商野球いうんか、甲子園の夢は終わったんや。

 その直後やったろか、ハリが
「アツム、相談ある」とマジな顔でゆうてきた。
「なんや」ゆうたら、
「実は、オレ韓国人なんや」ちゅうんですわ。
初めて打ち明けられて、
「えぇっ?」
とワシも驚きましたがな。
それで、在日韓国人ばっかりで野球チーム作って韓国に遠征すると言う。
「オレの最後のチャンスや。オレの甲子園や。行きたい。何が何でも行きたい」
と、ハリは真剣に話す。

 しかし、行くには当時の金で5万円いるという。
高卒の給料が6000〜7000円の時代に、高校生がおいそれと作れる金やない。
けど、ワシはこうゆうた。
「行けや。金ぐらいどないでもしてやろうやないけ。ワシに任しとき!」